Friday, October 9, 2009

<共犯者たちのクロスロード‐偶然の虚構性>④



 結局私は沢柳の持つパスポートをそのまま所持し、その翌日午後一時の便で渡米して彼になりすまして事業を経営することとなった。シリコンバレーからもそう離れていないサンタフェにある本社にまず沢柳の指示通りに直行く、そこで社員たちと何食わぬ顔つきですれ違う度に私に向かって会釈する社員たちに適当に応対しつつ私は沢柳の社長室に向かった。誰も私が替え玉であることに気づきはしない。秘書のサリーが私の顔を認めると、ドアを開けてくれた。私は翻訳家でいた頃から記憶力には抜群の自信があった。しかしそれは私が必要なことだけを記憶し、後は一切忘れることが得意だからである。だから私は全てに対してきちんと記憶するタイプではない、と私に沢柳が告白した性格にまさにうってつけの役者だったのだ。サリーは全く疑っていなかったし、あの時、ほどなく彼女からバースデーコングラチュレーションメールの返信が来たが、そのメールの文面に違うことのない誠実な性格の女性であることはすぐに私にも分かった。
 そうやって私は二日前にはあの奇妙な業務から開放され、しかし結構な大金をせしめ、今後の身の振り方を考えていたのとは全く異なった運命の下に、身の振り方を考える暇もない勢いでその社長室や、ミーティングルーム、そして本社以外の各部署へと移動から移動の生活になり、サリーの指示した日程表に従って社長業務を勤め、付近大体十キロくらい離れた豪邸に住むことになった。豪邸の執事の趣味や癖から思い出まで事細かに書かれたノートを密かに私は消印が東京都になっている速達で受け取った。そういった遣り取りは一ヶ月に一回くらいに及んだ。そして何かばれそうになった時の言い訳や工夫を時々私が運秘書と共に運転手の運転する公用車に乗って移動する時などに、後ろに一人で乗り込んで運転手の座る席と、秘書の座る助手席が、それら全ての間がアクリルで隔てられているのを利用し、沢柳からのパソコンを開いてメールを時々チェックした。そして向こうのメールに私は時々「こんなことがありました。」という出だしで一日にあった印象的な出来事を報告した。
 仕事は比較的早く慣れることが出来た。そして取引先のビジネスパートナーたちの趣味や癖、社長との思い出などをやはりメールで、あるいは豪邸に届けられる資料によってさも何年も付き合いのある者同士のように振舞うための助けとした。そして私が入れ替わったニセモノであるということを気づく者は、豪邸で飼っている番犬代わりのイヌと室内にいるネコ以外にはいなかった。ネコを私はずっと好きだったので比較的早く手なずけることが出来たし、そのことで執事や使用人たちが不審に思うということは一切なかったが、イヌがなかなかなつかないことには辟易した。私は在宅時なるべくイヌには近づかないように心掛け、執事や使用人たちにはイヌの吐く息が神経性のストレスによくないとかかりつけの精神科医に言われたと嘘をついて、イヌが興奮する姿を前にして誤魔化した。
 アメリカでは殆どのビジネスマンたちがshrinkと彼等が呼ぶ精神科医を掛かりつけている。そのことは渡米前から翻訳をしていた手前知っていたし、若いユダヤ系の精神科医さえ私が替え玉であることを気づく風もなかった。
 サンタフェはニューメキシコ州の中央に位置した町で、州都アルバカーキを南西に、ラスヴェガスを南東に持ち、標高3000メートル以上の市街である。私が社長になりすまし住む豪邸には二十人くらいの使用人(執事を含む)を要し、砂漠質の土地を耕し広大な庭(と言っても、植樹した森林やゴルフコースまで含む)を見渡すと、まるでディズニーランドに来たかの如き錯覚に陥った。そしてこれが本当に自分の力で手にした土地であるなら、どこからどこまで物珍しそうにして愛しい感じで歩き回るのだろうが、私は社長から教えられた庭の一画に設置された熱帯植物を育てている温室に腰掛けて読書するのが好きだという習慣だけを真似し、それ以外は敢えて色々珍しいのでじっくり観察しなかったのだが、却って物珍しい風情でいると疑われはしないかと思い、庭の管理を一括して任せてあるロジャースという庭師に社長から予め保存場所を教えられていた豪邸を配す土地の見取り図を取り出して豪邸の管理を社長に教えられた要領で指示し、時々向こうから来る質問に応答し、さもそこに沢柳が住み始めた十年前から住み慣れた住居と、庭であるように振舞った。しかしこうして替え玉となって気がついたことだったが、ニセモノとしてさもホンモノのように演技して暮らす我が家では最初は全く庭を鑑賞する気持ちの余裕などなかったが、それも不思議なもので、一ヶ月、二ヶ月とたつ内に次第にその住居のホンモノの住人に精神的にもなってくるもので、四ヶ月目には庭の色々なものが私の居住感性に馴染んできたのだった。しかもその頃になると色々な会合で大勢のビジネスマンと接するのも、例えば初めて会う時には、社長が面識のあるビジネスマンのことは予め秘書のサリーに手渡された出席者名簿を捲り、その名前をメールで急遽沢柳に送ると、社長は色々説明してきた。勿論写真つきでいきなり本人と会っても自然に振舞うためである。しかしそれは最初の一回だけである。つまり二度目からはもうこっちのものである。だから三ヶ月以降徐々に私は一々全てのことを社長に教えて貰う必要もなくなり、それどころか色々なことを決裁することを自主的に行うようにすらなっていった。そしてある年月経験してこなければ理解出来ない特別のこと以外は一切沢柳本人に確認を取ったり、教えを乞うたりすることなく全ての急場を切り抜けることすら出来るようになっていたのだった。
 それにしても私は忙しく一日のスケジュールをサリーの渡してくれる日程表を見て判断するのだが、一度は接待である鉄鋼関係の重役と共にラスヴェガスに行ってルーレットをしたこともあった。しかしそういったことよりも私をその頃(五ヶ月目くらいの頃)感動させたのはサンタフェの荒野に沈む夕日の美しさだった。これは日本で見たどの夕日よりも美しかった。そしてその時この美しさが虚構めいた感慨を与えるということ以外の感情を私に与えることを知った。しかしそれは次に待ち構えていたことに比べれば極めて単純な心の動きだったと思う。
 そうである。あのヴェロニカと再会(私は初会であるが)する日のことである。それは三ヶ月半くらい私がニセモノの社長としての生活をしてきた頃のことだった。私は本社の総務の責任者であるヒーリーにある日
「ところでここ数ヶ月お忙しかったので申し上げませんでしたが、ヴェロニカさんともそろそろ一度お会いしておかれてもいいんじゃないですか?」
と言われた時、私はそれまでこのこともまた社長の沢柳から託されているということをけろっと忘れていたことに気づいたのだった。そしてそうヒーリーから言われたあくる日が丁度金曜日だったので、携帯で連絡を取り、彼女と会うことにしたのだった。会うことにしたのは社長に言われていた二人でよく行くメキシコ料理の店ではなく、敢えて私の判断でヴェトナム料理のレストランを予約したのだった。何故そうしたかと言うと、社長の行き着けたところではない場所の方が初めてその店を予約することで、彼女との久し振りのデートを気分転換のように振舞うのに丁度いいと思ったのと、一回普段とは別の店に彼女を誘うことで、再び行き着けの店に行くことに新鮮味があるような素振りにニセモノであるがための不自然さのためになっていたとしても不思議に思われないだろうと思ったからである。しかし私があの山荘で沢柳の突拍子もない依頼を引き受けた時、自分もかなり悪の部類に属する人間だと自分でも感じ取ったのだったが、ヴェトナム料理店で彼女がやって来るのを待ってタバコを吸っていた時、約束の時間ぴったりに私に前に現れたヴェロニカを最初に見た時、あの山荘で社長が私に見せてくれた写真のイメージから想像するもの以上の妖艶さに私は正直言って打ちのめされた。
 あの時は確か三十六歳と聞かされていたので、もう少し中年っぽい雰囲気を想像していたが、実際はそれよりは四、五歳は若く見えた。(サリーは成人近い娘がいるので、五十台初頭だったが、彼女も実際より若く見えた。)
 しかし私はヴェロニカを抱くのは初めてとなるわけだが、彼女の側からすればそうではない。彼女が胸を借りるのはあくまで彼女がよく知る沢柳なのだ。そう私は心を落ち着けた。彼女は殆どチカーノ訛りのない綺麗な抑揚と発音の英語で私に向かって
「珍しいわね、あなたがこういうレストランを予約しておくなんて。」
とそう言いながら、私の前の席に腰を下ろした。彼女の言葉上での英語の流暢さがサハシーを惹きつけたのかも知れないとその時私は思った。彼女は全体的には意外と小柄だったし、顔は細面だったが、身体は肉付きのいい豊満さを称えた女性だった。何より私自身は長く一人暮らしに慣れていたので、女性の肌に接することそのものが新鮮なものだった。しかし私はもう五十に近い年齢である。だからと言って二十代の男性のような慄きを女性に接する時に抱くこともない。自分でも驚くほど彼女との久し振りのデート、私にとっては初のお目見えであるその日の会話は私の近状を適当に報告することで、切り抜けられた。彼女は経営コンサルタントをしている。そして趣味はオペラ鑑賞、ドライヴ、読書だった。彼女は最近観たオペラと、読んだ本の話をした。私自身も意外と観劇や読書は嫌いな方ではなかったので、そんなに違和感はなかった。しかしそういう風にスムーズに行っている時に彼女が一言洩らした時にはぎくりとした。それは彼女が英文学の話をしていた時のことだった。私が昔好きだったカポーティーの話をした時のことだった。
「あら、あなたトルーマン・カポーティーあまり好きじゃないって前は言っていなかった?あなたサリンジャーとかの方が好きだって。」
その時私は
「いや例のロバート・レッドフォードが主演した昔のフィルム「華麗なるギャツビー」をDVDでこの間観たんだよ、それが結構よかったからさ。」
と誤魔化した。
 確かその時私は沢柳が彼女は性格的には疑い深いタイプではないけれど、変化には敏感なところがあるとも言っていたと思い出していた。一人でドライヴをすることも好きな彼女は、独立心旺盛な女性らしかったし、それは沢柳の言うところと、実際の彼女を見て話しをした時の印象とが一致しているところだった。しかしオペラ鑑賞が趣味という割には、あまり古風なものには関心を注がないようにも私には思われた。つまり彼女の場合、オペラの観劇スタイル(オペラグラスとかの)のような伝統的形式からではなく、オペラの内容、その歴史的背景から関心があるのであり、そういった意味では似非ファンではないから、話の内容もそうだし、生き方の話にしてもそうだし、あまりいい加減なことを不用意に述べることはどうも彼女の面前では差し控えねばならないとも思えた。
 しかし同時にそういうタイプなら寧ろベッドではあしらいやすいのではないかとも思えたのだ。と言うのも概して教養のない独立心の希薄な女性ほど、ある意味では嗅覚だけは優れているということがあり得るが、逆に芯のある女性は却って単純なところもあって、ベッドでもいつもとは違うスタイルに対して変に敏感である、ということはないのではないかと私はその時人間観としての直観を持ったのだった。
私たちはそのレストランからそれほど離れてはいない、古風だが落ち着いていて、その辺では一番人気があるモーテルに泊まった。そこで二人でビールを飲み(彼女はワインからブランデーまで幅広く酒を楽しむ女性であるとは沢柳から聞いていた)、シャワーを浴びてから、ベッドに入った。そこで彼女は私を沢柳の本名であるイサムと連呼した。通常女はメタ認知が得意ではない。つまり嗅覚の方がそれよりずば抜けて優れているのに、彼女は性感帯とか、感度とか、反応とかは勿論敏感で男である私を充分楽しませたが、男の嘘を見抜く能力はそれほどではなかったのだろう。と言うことは逆に性的なパートナーとしては勿論のこと、ある意味ではビジネス関係の相談相手としてもまた、女性にしては珍しいメタ認知の優れた存在なのかも知れない。だからこそ沢柳静雄は、この女性をパートナーとして選んできたのだろうと思った。しかしそんな優れた相手からも私を替え玉にして逃避することを選んだ沢柳が、今どこで何をしているかは見当もつかないが、それほどまでしてCEОというものが捨て去る必要のある身分であることに、その時点では私は未だ勘付いていなかった。またそんな余裕さえなかった。

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