最後の一ヶ月間というもの、これで全てアメリカでの自分の責任は果たし、後は山田に任せると思うと、全てのアメリカでの生活がたった一年とちょっとだったにもかかわらず、懐かしく思えた。しかしいつものように過ごす必要があったので、私は一年ちょっと過ごした広大な邸宅の庭をいつもより慈しむようには眺めたり、手入れしたりすることもなかった。そもそも最初からプロの庭師を何人も雇っていた沢柳の仕方を引き継いだだけなのである。第一彼がそこに住んでいた当時どれだけ邸宅の庭を散策することを好んだかなどということまでは私は彼からは聞かなかった。散歩することもあっただろうし、終日書斎に閉じ篭っていたこともあるだろうとだけは想像し得た。
しかし私は奇妙なことにもと言うべきか、それともやはりと言うべきかは分からないが、この二年とちょっとで私は自分自身の人生が極度に変わってしまったさえ思えなかったのだ。つまりこれはある程度人生というものに付き物の予定調和的な、想定された事態でもあるとさえ言えた。何故なら人生とは一度として同一の反復が出来事的にも、心理的にもないものだからである。次から次へと違う出来事と、違うその時々の、しかも二度と出会うことのない私の感情との出会いそのものが私の人生なのである。だから私がもしこのように経済的にはとんとん拍子で進行しない、例えば突如ホームレス生活を余儀無くされることがあったとしても尚私は人生とはそういうものだったのだと受けとめていたかも知れないとさえ思えた。私は恐らく二度と金城悟としての日常に未練を抱くことさえないだろう。と言うのもそもそもあの当時の私は生きても死んでもいなかったと言ってよい。しかし少なくともその後沢柳と出会い、一年後、アメリカで彼になりすましてからは、詐欺師として私は「生きてきた」ことだけは確かなのである。それは偽りの生き甲斐であり、偽りの活躍である。しかしそれ以前には体験することさえなかった毎日の張り詰めたあの緊張感とは一体何だったのだろうか?一人でするきつい業務である翻訳家にはない全く別の性質がCEO業務にはあった。それは集団内で自己の立ち位置を認識する必要を常に求められ、しかも自分自身でも確認する必要に追いまくられる日々だった。その心理的緊張とは、生きているとはどういうことなのだろうか、などと考える余裕を一瞬たりとも私には与えはしなかった。であるが故にいざその職から離れるとなると途端に私にはその日々とは一体何だったのかということを自問せざるを得なくなるのだった。
私は誰にも悟られないように私が辞めた後のことを考え、今の内にしておけることはしておこうと決意し始めた。
その間に不思議なことに私の胸中に去来した最も懐かしい出来事と言えば、自分を本来の金城悟として認識したあの男古物商の飯島のことだったが(またあの男と会うことがあるだろうか?)、山田に引き継ぐことが決まっているその日が近づくにつれ沢柳本人に偽装した演技者として最後にし残しておくことが片付いていくに従って私の胸中に去来した最も懐かしい出来事とは沢柳に自分が採用される経緯であり、亡くなって結局私が全て采配を揮うしか方法がなくなってしまった当の本人沢柳という男そのものだったのだ。これはある意味では首相官邸や公邸を去る段となった首相が初めて自分が首相になった時に辞職していった前の首相の気持ちが理解出来るのと似たような気分だったのだろう。
私は一つだけアメリカでの生活の最後の思い出としてそれまで一度もしてこなかったことを一ヶ月の間にした。それはサリーにだけ私が大切に作り込んできた盆栽を見せることだった。サリーにそれを見せたいと携帯でそう告げると、電話の向こうの彼女はひどく喜んで
「社長、今までそんなことまで気遣ってくれたことありませんでしたのに、どうなさったんですか?」
と不思議そうにそう聞いてきたが、その質問には他意などなさそうだった。
それにしても更に不思議だったのは、いよいよ山田と引き継ぐという段になって、最も自分が退いて後に残すものとして未練が残ったものはビジネスそのものでもなければ、サハシーが愛し、私に引き継いだヴェロニカでさえなかったことだ。勿論ヴェロニカとも最後の逢瀬を私は私自身最後のスケジュールの中に組み込んだ。だがそれとて私が全くひょんなことから沢柳から受け継いだものであり、私自身の意志によって望んで受け継いだものでもなかったのだ。勿論彼女とも楽しい思い出もあった。しかしやはりどこか私にとっては窮屈な思いも全く彼女との時間においては、拭い去ることなど出来なかったのだ。何しろ私はただの引継ぎなのだ。私は人の女を寝取って平気でいられるほど悪党ではなかったのだ。だから私にとって最も私が辞めた後どうなるだろうと心残りだったものとは、実は私が彼の業務一切を引き継いだ頃サハシーが何らかの思いつきによって始めたばかりだった盆栽で、私は勝手に彼沢柳の未練を斟酌して、それは豪邸の中に設えられた植物園の一画の棚に無造作に置かれていたものだったのだが、私が勝手に佐橋が考えていた当初のアイデアよりももっと手の込んだ一級品に仕立て上げてきたその作品だったのだ。私はビジネスがオフの時いつかエディー・レンディーを招いた時などに自慢しようと(結局、レンディーはおろかロメオスさえも招く機会を得ることを失したが)密かに手塩にかけて作りこんできたのだった。だからそれを最後に(勿論私がサハシーを演じるという意味で最後という意味だが)最も日頃からお世話になってきていたサリーにそれを自慢するという思いつきは私のこの二年間のサハシーとしての日々の決着としては自分でも幾分悦に浸れるものだった。
サリーに私はある日夕食に招待したいと言い、彼女を私が作る料理で二人に共通の休日に招待した時にその場に連れて行って見せた。少し前にあった彼女の誕生日には実は彼女に私はバースデイプレゼントを渡していた。(と言うのも一年前のバースデイには沢柳に山荘で指南を受けていて、何か渡すどころではなかったからだ)プレゼントの内容は日本の博多人形だった。彼女は日本の風物とか文化に大変関心の強い女性だったので、それを彼女が私から渡されてつつみを解き中を見ると凄く喜んだ。だから私がアメリカを去る私にとっての最後の(しかし彼女らにとってはそうではない)サリーに対する奉公として私がその盆栽を見せた時もとても感心していた。サリーも私の日頃からの行動の逐一に世話をしてくれていたが、それはあくまでビジネスに限るものであって、勿論彼女は秘書なのだから、豪邸内の執事とか全ての関係者たち全員が休暇中に私がプールに水を入れっぱなしにしたまま、突然の電話やメールによって移動してしまい、水を出しっぱなしにしてしまったことを後で思い出した時とか、台所のガスの元栓を締めないまま出掛けたり、大広間の電気をつけっ放しにしたまま出掛けたりした時などに車で豪邸へと直行して貰い後始末をして貰うこともあるにはあったが、豪邸の一画にある植物園の中のましてや一画に設えられた棚に置かれた盆栽にまで見入ることなどは殆どなかったのだ。
Tuesday, October 20, 2009
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