ネルソンとリッチモンドが率いる製薬会社Kとの広告戦略における提携と、今回のズームアップ社との提携だけは完全なる私の裁量によるものだった。勿論そのゴーサインを、つまり私の裁量を許可してくれたのは今は亡き沢柳である。しかしこれからはずっと許可なく私による裁量だけで全てが決定される。だから当然ヘマをすれば、大勢いる株主たちから突き上げられるだけである。
案の定、ロメオスと私の目測通り、エディー・レンディーが数ヶ月前に一線を退き、しかし院政を敷いているところのミューズソケット社は追い詰められて、とうとうそれまで公開してこなかった企業秘密である広告制作ソフトの製造方法を世界に対して自由検索するように決定し、何とか一命を取り留めた。ここ数年ずっとエディーが世界一の資産家であったものの、後一歩というところでシューズデザイナー社のロメオスやズームアップ社のサム・ジャクソンたちによって追い上げられてきているというのも事実だった。それに加えて中国のIT企業である孫分がそれらに対抗すべく接近していた。ジャクソンと私とロメオスは私が沢柳当人の死の知らせを私が受け取ってからほどなくして会見し、合議し、三社分配方式による新企業設立という形で合意した。
ミューズソケット社からの今後の報復だけは油断してはならないことの一つだったとは言え、それまでネックになっていた企業規模拡大と、収益に関する目下の悩みはロメオスを軸とする私たちとジャクソンたちとで合弁する新たな企業設立によって三分配方式による元の企業、つまりズームアップ、スカイスレッダー、シューズデザイナーに対して等価収益を上げることが決定されたことで、各々の企業カラーを失うことなく、それでいて新基軸によって個々が刺激を得ることが出来るという理想的な形で落着した。
ビジネスというものは不思議な代物だ。いったん巧くことが運んだ時には、まるで最初からそういう風に決まっていたかのように誰もが信用するし、私の手腕を絶賛する。しかしいったんそれが破綻すると、どんなに努力してきても、どこか手腕そのものが振るわなかったのだと決め付けられる。だから私は巧く行っている時には、サリーもビルもトムも、マイクもヒーリーも全員私の周囲にいる面子の全てが私に対して協力的であるように思える。しかしそれは巧く行っているということが齎す偶然的な恩恵でしかないのだ。だから却って巧く行き過ぎると誰も私の相談を真に受けてくれるような人はいなくなる。そういう時にもし私が何か相談を持ちかけて真摯に受け答えしてくれる人がいるとしたら、そういう人は稀有な人だ。だがそういう人が苦境に陥った時に助けてくれるとも限らない。だからと言って私は全ての人に疑いの眼を向けることも出来なければ、全ての人を信用することも出来ないできている。要するに他人を当てにすることは憚らねばならないが、他人なしに事業を推進することは出来ない。しかし私はニセモノなのだ。だから引き際を常に考えてきていた。要するに辞め方である。しかし辞め方も沢柳が生きていれば彼に相談することも出来たし、彼が望むのなら人手に社全体を渡すことすら選択肢としてあっただろう。しかしいざ彼がこの世からいなくなったのだとしたなら、私は私の裁量でそういうことをしてもいいのだろうか、と考えるようになった。私のこの社での最後は彼の最後として記録されてしまうのである。つまり私が彼から引き継いだからこそ彼は死んだのかも知れない。ならば私が今のこの身分がうんざりして辞めたいと思っても尚、私が彼の替え玉であることは死んだ沢柳と自分しか知らないのだから、私が彼と入れ替わらなかったというケースで最もあり得る展開としては、沢柳本人は許す限りいつまでも生きて今まで通り経営を続行するという世間に対する認知の持続である。
ボードミーティングや株主総会といった全てをここ一年私は恙無くこなしてきた。しかしそれは世間で通っている沢柳静雄、サハシーによるものであって、私の采配ではない。世間の認知自体を例えば私がリタイアするというようなことをもって勝手に変更することというのは、これまで彼による計らいで私が恩恵を受けてきたことに対する一種の裏切りに他ならない。だから私は私が辞めたい時には私と沢柳にそっくりなもう一人の替え玉を用意することを大分前から考えていた。ただ私にもこの業務に邁進するようになってからの私、つまり金城悟としての未練というものも多少はあった。だからそれだけは残さずに次の奴にバトンタッチしたいとこその頃ずっと考えていたのだ。
結局私はなりすまして二年目に突入してから、次に自分の業務を引き継げることの可能な私と沢柳と瓜二つの男性を探すことを終日考えるようになっていた。そして私と沢柳の契約にとって、私が彼の替え玉を適切に選びバトンタッチすることこそが彼に対する報いであり義務であると考え、ある日、ある困難な英文の中にラテン語やギリシャ語がしばしば登場する10行くらいの英文をブログに載せ、適切な回答をした者だけがクリックして進むことの出来る広告を私は作り出した。勿論クリックした者の中で私が提示した一ヶ月何もない部屋で何もしない業務をすることを示し、東洋人に限るという触れ込みで使用期間就職希望者は上半身写真を添え、身長と体重、そして経歴とメールアドレスも明記するように指示するように目論んで作ってネットに乗せた。
すると一週間後に千人くらいの正解回答者がいて、その回答者の中から更に私に似た風貌の者を百人厳選し、その中から更にその者の性格を判断するために選ばれた百人に新たな問題を課した。それは孤独に強いことが証明出来るような「もし~が起きたら自分はどうするか」とい質問に対する簡単な作文だった。私はその百人の中から特に私が関心を抱いた回答者で私と沢柳と風貌のそっくりな者三人の中から(当初別に日本人でなくても仕事はアメリカでするのだから東洋人であればよかったのだが、結局全て日本人だけに絞られた)、最も孤独に強そうな文章を書いてきた者一人に面接しようと思い、その旨メールで知らせた。私が指定した日は翌週の日曜日であった。勿論アメリカでは会わず、サハシーから引き継いでいた日本の山梨県の山荘(私はその課題を出す時に、沢柳と同じ遣り方をするつもりだったのだ)で会う約束をした。その男は風貌は私そっくり(と言うよりサハシーそっくり)だったし、何より英語の堪能さはオーストラリアの外資系商社勤めだったことで保証つきだった。
私は日本へ行く用を作った。それはもう予め決定している事項についてではなく、新たな私の後任の替え玉が仕事しやすいような手筈を整えるために、敢えて全くサリーにもヴェロニカ(尤も彼女とは肉体関係があったので、そう簡単に私は引継ぎをするという心持ではなかったが、沢柳さえ私に彼女との関係さえ譲ったのだ。私とてそうしないなんて全く潔くないと思った)にも、その他トムにも一切私が辞め、他の引継ぎが継続して業務を遂行するという感じを持たせないように配慮して、いつものように振舞ったし、今回の日本行きは私用であるということで、沢柳も一年の間に数度そのようなお忍びの帰国をしていたようだから、私もそれに習ってビルに彼との最後のフライトをさせた。要するに、引継ぎに円滑に私の業務を行えるように私が一年してきた業務内容と、後任者が私の辞めた後、即座に人間関係を滞りなく捌いていけるような資料作成と、彼自身に会うたの帰国だった。
私はビルのフライト一昼夜自家用ジェットで飛び、調布の飛行場で降り、そこでビルにホテルで待機しているように指示し、近くで借りた乗り捨てレンタカーで私を沢柳が乗せた場所に赴いた。今回は私と沢柳が最初に会ったレストランでの会見という面倒くさいことを一切省くために、私は採用することにした男にだけ最初から沢柳と違って、最終的に自分の替え玉になる、ただ自分もまた以前の本当の彼から業務を引き継いだ偽者であることだけは隠蔽し告げず、影武者同士の引き継ぎということだけは隠して自分「沢柳」からの引継ぎという目的を予め採用者の彼に告げ、忍耐力を通して偽者としてなりすます適性を試すために何もしないで部屋にいる仕事を一ヶ月に縮小して行わせることまで告げて全てを形式的にあまり時間をかけずに引き継ぎをすることにした。それが故・沢柳に報いる恩だと私は思った。(しかし結局それが裏目に出ることとなったのだが)一ヶ月後とは、私が着任してから丁度一年と三ヶ月後の期日だった。それから後私は私自身の采配によってその後私が一切働かなくても十分飯だけは食っていける晩年の本人サハシーのような余裕ある老後を送ることが出来るのだ。私は日本に赴く前に既にその例の部屋での何もしないで過ごす試用期間からその後のスケジュールまで全て細かく事情を説明したメールをパソコンで送っていた。相手はいささか面食らったと言ってそれでも引き受けるというメールを私はその男からその後受け取った。男の名前は山田三好といった。でも私は彼に試用期間前に一度は会っておく必要があると思って、沢柳が私に細かく指示するために使用した例の山荘を使うことにした。(私はその山荘をあの時彼からプライヴェートな使用のためのものとして引き継いでいたのだ。)
つまりあの時と今回との違いとは、要するに最初に沢柳が私を試してその後で色々細かいそれまで試してきた理由と今後の対策を私に話し指示したのと違って、完全に最初からこちらの意図を全て包み隠さず告げてから、試用期間に突入させるという私流のやり方だった。しかも試用期間中の彼の何もない部屋での振舞いを私は一切ヴィデオでチェックすることもしないことにした。(これも全く私の独自の判断だった)つまりその業務が終わったら、自動的に私の後任者がそのままサンタフェの本社で勤務出来るような手筈を既に私は整えていた。
私が何故そういうやり方にしたかと言うと、長期間変梃りんな業務をさせて、しかも高額の報酬を彼に与える時間的余裕、つまり私がその間気長に私の後任に相応しいガイであるかどうかという判定をする間、私は沢柳の替え玉として私の後任にとっては沢柳として依然以前のように振る舞い続ける必要があったわけだが、そのようなことは精神的に耐えられない気がしたからである。私は私が本当のサハシーであることを山田に信じ込ませるだけで精一杯だったのだ。
沢柳は自分の替え玉を見つければよかった。だからあのように私を妙な業務に一年間もつかせ、万全を期すということには意味があったろう。しかし私は違う。何せ、私は私の替え玉ではなく、沢柳の替え玉を見つけるためにそれをしてきたのだ。私は私を選んだ故・沢柳と違ってオリジナルではない。コピーがコピーを選ぶ場合オリジナルに忠実でなければならないから、私は私にではなく故・沢柳に最も似たと思われるタイプの者の中から厳選して後任のサハシーの替え玉を決定した積もりだった。私は私らしさを替え玉としてやり切る後任者ではなく、あくまで私が替え玉を演じ続けた当の故・沢柳(勿論私にとってだけであるが)の替え玉を辞めていく会社に宛がって行く必要があったからだ。もしそれが功を奏せば、周囲は沢柳を中心に私が演じた頃のサハシーと私の後任の替え玉が演じた頃のサハシーを勝手に脳内で結び付けてくれるだろう。しかし私によく似ているガイを私が選べば、きっとサハシーそのもののイメージは徐々に変化していき、本当のサハシーが業務をしていた頃と私の後任の替え玉が業務をこなすこれからを同一性としては認識出来なくなるだろう。しかも私は私としてではなくあくまで沢柳としてその山田に会う必要があったのだ。だからこそ沢柳が私に施した悠長な試用期間を私が同じように耐えるということは私の精神的忍耐の限界としてあり得なかったのだ。(しかしそのことが結局私の首を後で絞めることとなったのだが)つまり私にとってその山田という男との秘密の会合とは私にとって最後の沢柳としての演技が試される場だったのである。
Thursday, October 15, 2009
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