私が山田と入れ替わるように手筈していた日がやってきて、私は予め山田と申し合わせの通りに、明け方に予め借りていたレンタカー(車は社長専用米国内vIP用豪邸の十数台もの車が駐車出来るガレージに密かに数日前の深夜に停めて置いた)で密かにフリスコまで運転して行ってそこで乗り捨てた。そして空港からそのままバリ島に向けて飛び立った。バリ島で数日過ごした後、次はタヒチに、そして続いてモンサンミッシェルに飛ぶ予定を立てていた。私はその際に勿論金城悟でも沢柳でもなく別名、郷田守を使用した。山田は私が明け方に出てから、一時間後にやはり彼の運転する私がフリスコの空港付近で乗れるように用意していたレンタカーで豪邸に到着することになっている。あの山荘で予め詳しく豪邸の地図は彼に手渡し、カーナビも装備しているレンタカーを用意していたので、万事巧くいくことになっている。
私は沢柳という存在から解放されたのだから、金城に戻ることも出来た。しかし私の意図とは裏腹に私の稼いだ収入は、金城のままでは到底不可能なレヴェルへと一挙に到達していたのだ。つまり私は今後沢柳になりすました後で行ったあらゆる場所にも二度と訪れることは出来ない(それは既に山田の行く先になっているのだから)のに加えて、金城に戻ることすら不自然で出来ないのである。つまり金城のあれからの生活全般ではどう転んでも今の経済的能力を捻出することなど不可能なのだから、私は金城のままではいつまでたっても、今まで一年以上沢柳になりすまして得た収入を糧に派手な生活をすることなど出来ない。と言って同時に沢柳のままでもいられないのだから、私はある意味では不自由なことにも私本来の金城でも、なりすましてきた沢柳でもない全く架空の人間の生を生き続けなくてはならない。しかもひっそりと。そして同時に私は金城として知り合った飯島のような人間との偶然の出会いを恐れ、それに加えて沢柳時代に知り合った大勢の人間との出会いも避けて暮らさなくてはならない。最も恐れるべき事態とは、金城としての私の知り合いと出会った時そこに同時に沢柳として私が出会った知り合いとも出会うというある意味ではかなり蓋然性としては小さいにも関わらず、全く可能性ゼロではないそういう偶然に遭遇することである。勿論山田と出会うということも最も避けねばならない。また極めてリッチな生活をしていると、いつ何時山田と私が邂逅する機会が訪れないでもないのである。そういう意味では沢柳があの世に行ってくれたのは彼にはすまないが、天の恵みであるとも言える。三人が一同に会することだけは避けられるのだから。
私はバリ島へ向かう飛行機の中でこれから第三の人生に突入していくことの実感を噛み締めた。これからは郷田守としてのんびりと老後に向けて人生そのものを味わい尽くすのだ。もうあまり金銭的なことは勿論、何か業績を上げたいというような野心さえ抱く気持ちにもなれなかった。だからと言って放心状態であるわけでもなく、ただほっとしたという気分だった。しかしそのほっとしたという感じは晴れ晴れとしたものではなかったものの、と言っていつまでも緊張が解けないというのでもなかった。と言うのも私はいつからか緊張と、そこからの解放という程よい起伏そのものから遠ざかり、何らかの感情が別の感情によってコントロールされること自体に驚くこともなく、内的に動揺したりするような内的な葛藤さえもが、他人事のように思えるそんな風だったのだから。そもそも私は嘘と本当のことの違いという奴さえ然程切実なものとして私の中では存在していなかった。だから沢柳になりすました瞬間から寧ろ本来の自分に向いた生活を手中に収めたとも言えた。
私がここ二年くらいの間特殊な経験をしたからでもあるが、それ以前から抱いていた現実が虚構めいて見えるということの延長としてもそういう感覚が最早決して特殊なものではなくなっていたという意味では本来の私になれたということなのかも知れない。しかし不思議なことにも、ではだからと言ってそういう感覚にすっかり慣れきっていたという風かと言えば、それもまた違うというのが本当のところだった。しかし私はいつもそう感じる度に、「いや、人生などと言うものは所詮こういうものなのだ。」とただ勝手にそう納得しているその繰り返しだった。
それは人生に理想とか大いなる願望を持つことを諦めた方がそれに向かって努力してそれが報われない時に味わう失望感を予め招聘せずに済むという意味で気が楽だということだけである。だから思い出してみてもサハシーになっていた時期も私は水を得た魚という心境でもなかったのだ。空虚だけれど、その空虚をとりたてて払拭しようという意気込みを一切感じないまま過ごすという心の奇妙な平安がバリ島へと向かう飛行機上で私を支配していた。ファーストクラスに乗って隣に座るご婦人は私と恐らくこのフライトの間だけ私とかかわり、今後彼女と私が死ぬまで一度も再会することなく過ごすだろう。つまり人との出会いもそういうタイプの出会いの方がずっと都会を中心とする生活では多く、だからと言ってその事実に真剣に悩む人はいない。だから私が何とか一年以上やりおおせた沢柳=佐橋の役を終えて、今ほっと一息ついているということの内には、二度と会うことなく終わる隣のご婦人との出会い(勿論出会いと言っても語り合うわけではなく、ただそこに座っているということを知っているということだけのことなのだが)と似たような出会いをここ一年ちょっとの間してきて、マイク・ストーンランド、ジム・クラーク、サリー、ビル、トム、スコット・ヒーリー、エディー・レンディー、ロメオスといった人たちが、公私に渡って私の生活を支配していたが、もう二度と彼らと会うことなどないわけだから、それこそ彼らの中の只の一人として隣のご婦人以上の存在理由を持つ他者は私にとっては存在しなかったし、恐らくこれからも存在しないだろう。
私が一切の成り済ましビジネスから手を引いたことによって、本質的にスカイスレッダーのCEОとしてではなく、私人である郷田守、しかも謎の資産家としてバリ島への赴くジェットの中であれこれ思い浮かんだことと言えば、何か役職を辞めた時に感じる固有の心境だった。それはこういうことである。他の人がどんどん去っていくことを目撃するということは、例えばオリンピックで競技を決勝戦にまで進めることの出来る選手たちに共通する体験である。しかし会社ではそのようなことを目撃しても、オリンピックと違って、世界のトップというお墨付きを我が社で貰えるとは限らないので、必然的にただ我が社で脱落して辞めて行く成員に対して、負け犬というレッテルを必ずしも貼れるものでもない。つまり辞めた奴の方が正解である場合も往々にしてあるわけだから、いつまでも自分のように一箇所に留まっているという決意と、行為の持続は、そのようにしながらもどこかで「あの時辞めて行った奴の決断の方が正解だったのかも知れない」という思念との葛藤が絶えず付き纏う。そして辞めた直後に回想することと言えば、自分が辞める直前まで行動を共にしたメンバーよりも、自分がその職に就いてからほどなく辞めていったメンバーたちの笑顔とか、話し振りの方なのだ。結局自分もこうしてあの場を去ることとなってしまったのだから、自分よりも早くその場を去った者の決断がより今辞めたばかりの自分にとっては正しい判断のように思えるからである。「俺もすっかりあそこに長くいたが、俺よりももっと早くあの場を立ち去った者たちの選択の方が正しかったかも知れない」という思いは必ず湧き上がる。
しかしそれと特筆すべきことは、同時に新たな人生の幕開けを飾る旅行の最中で特に空港での待ち時間などに読む売店で買う新聞を開いてつい目が行ってしまうことというのは、それまで自分が属していた社の株の状況とか、社自体の業界における価値評定とか時価相場とかそんなことばかりだということである。もうそんなこと一切気にしなくてもいいのに、身体が自然にそういうことに対する注目をするように慣れてしまっているということに我ながら苦笑してしまう。「そうだ。俺はもう沢柳=佐橋社長ではないんだ。郷田守としてひっそりとしかしそんなに苦労することなく世界中のホテルとかに泊まり歩いて生活するくらいのことなら出来るんだ。」とそう言い聞かせた。
私はそれから一年くらいそういう生活をしてどこかスペインかカナダかそれは未だ決めていなかったが、田舎の奥まったいい景色で、あまり人の多く住まない邸宅を購入して生活したいと考えていた。そして今更ながらにかつてサンタフェの豪邸に最初に着いた時、居間のラウンジから書斎へと赴く時、あまりにも複雑で迷路のような行き順だった(佐橋が誰かに狙われることを未然に防止した措置だったのだろう)私は特注して購入し送って貰っていた一キロ近い長さのストランド・ロープを、一切邸宅に勤務する者が引き払った休日に密かに私が山荘で佐橋から貰った邸宅内の地図を頼りに書斎へと行き順を探り探りして辿り着こうとしていた時、足元に置いて、再びラウンジに戻る時にはそのロープを頼りに歩いて行ったことを思い出していた。しかしこれからはそんな複雑でただ広い豪邸に住むことなどないだろうと私は思った。すると急に肩の荷を降ろした気持ちにもなっていた。確かに完全に清清しい気持ちというのにはほど遠かったが、それでも一年以上も替え玉をやり終えたという達成感だけはあったのだ。
私はハワイ経由でバリ島へ向かい、現地に着いてからは、一度泊まるホテルへと向かい、そこで簡単な荷物(あまり多くの荷物はなかった。と言うのも山田に後は全て任せていたので、佐橋としての所有物の殆どをサンタフェに残してきたのだ。そうしなければ怪しまれる。だから後は預金だけを頼りに生活していく積もりだった)だけだったので、その荷物を置くとすぐ帰ろうとしていたホテルで荷物を運んでくれた現地人のポーターにチップを払う時、彼は未だ二十代の青年だったので、久し振りに若者と話すいい機会だと思って話してみると、そのホテルは日本人が経営するホテルだったのだが、彼は現地では豪邸に住まうアメリカ人、中国人、日本人のどの人たちの下で働くのがいいかと言うと、大抵の現地人は人使いの丁重な日本人が最も人気があるということだった。そのホテルと懇意のやはり現地人ガイドと共に民族音楽のケチャを聴きに行き、そこで暫くワインを飲んでから、海岸に行き、予めガイドに運ばせていた折り畳み式のビーチチェアに寝そべり暫く転寝した。
再びホテルに戻ると、そこでテレビをつけ、株式市況に関するニュースを見て、スカイスレッダーの行く末を見守った。しかし考えてみれば一年以上前にはそんなことどうでもいいことだったのに、その時にはすっかり「私のいなくなった後の社」という発想で全てを見ている自分に我ながらかつての地味な翻訳家としての人生から百八十度転換してしまったことに対して不思議な気持ちになっていた。
しかしバリ島にはあまり長く滞在せず、翌日にはすぐにタヒチに飛んだ。タヒチではゴーギャンの記念館で彼の絵を見ることだけを予定に組んでいた。しかしゴーギャンはその時の私がなっていた年齢までは生きておらず既に死んでいたのだ。そう長くはない人生を華々しく絵画制作に明け暮れて過ごした人生は長さではなく濃密な生の苦悩によってその命脈を保っている。そういう息遣いだけを絵画から感じることが出来ればそれでいいと思った。私は絵を見るのが昔から好きで、だからこそ伊豆倉のギャラリーによく訪ねたのだ。しかしギャラリーというところはある意味では定評のアーティストの安価な作品だけを置き、作品を物として捌くことが目的の場所であり、純粋に絵画を鑑賞する目的の場所ではない。要するにそれは鑑賞目的であれ、投機的目的であれその時に必要とされる絵画作品という商品を陳列する場所なのである。商品を陳列するということは、多分にそういう信頼出来る偽者ではない本当の作品を陳列することが可能であるというディーラーの手腕に対する誇示という側面もあるから、その信頼ある市場価値ある商品を購入することの出来る購入者の経済力の誇示との鬩ぎ合いの場所でもある。しかし美術館は違う。そこでは商品としての絵画を購入する目的で鑑賞者たちは訪れているのではない。だから逆に翻訳家としてつましい生活に甘んじていた頃の私は自らの経済力の誇示をどこかで充足するためによく訪れた伊豆倉のギャラリーのような空間よりは、かなり経済力を身につけた後のその時には寧ろ鑑賞することだけが目的の美術館に憩いを見出していたのである。
意外とその美術館は内部が暗かった。そもそもアートの作品は強烈な灯りに弱いので、室内は暗く作品保存のために設定されている。しかし恐らく私が感じ取っていたゴーギャンの作品の数々に描かれた内容が私にある種の内的な暗さを私の心に呼び覚ましていたのだろう。そして外部に展開する海岸沿いの自然の底抜けに明るい空気感が、逆にゴーギャンの絵の内的な荘厳さとか精神的深度のある暗さを彷彿させたのだ。外気の肯定性が内的世界の否定性を際立たすということがあるのかも知れない。私はいつの間には彼の絵画の前で私自身の人生をゴーギャンのそれと重ね合わせていた。
Thursday, October 22, 2009
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