Thursday, October 1, 2009

<共犯者たちのクロスロード‐偶然の虚構性>①

 本当は沢柳という名であると私が知らされたその男から来た新たな依頼を受け取った時私は未だそれほど深刻にはそれ以後の人生が急転直下して行くなどとは思いもよらなかった。

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 私はこの世に生まれてからかなり早い時期から今までずっとある考え、と言うか感覚的な印象に支配されてきた気がする。それは人間社会の現実は言うまでもなく、大自然や我々の周囲に散見されるあらゆる人工的ではない現象までが全て虚構であるかのような感じ、つまりフィクションとしてしか全ての事象を捉えられないという一種の病的な感覚である。
 私はそういう自分の性向からか一度は小説家を志したこともあった。しかしどんな奇抜な小説を書こうとしてもそれはいつもどこか空しいという感じを拭えなかった。要するに何を試してみても、心から自分が創作する世界に満足出来なかった。それは私が私の頭の中で組み立てようとしてきた世界があまりにも現実に起こる現象や、自然、あるいは社会全体の動きとかいったものたちよりも陳腐なものにしか思えなかったからである。つまり現実に起こる全ての方が常に私の精一杯力を込めて創造した世界よりも勝っており、しかもそれら全てはまさに予定調和的フィクションの世界に見えたのである。それらの虚構性は常に凄く迫力を持って私に迫ってきた。私はある意味では私自身の身体と精神の全ての観点から私自身の存在が私の心を離れた一種のフィクションのように感じながら生きてきた。そういった私自身の感慨から私はほどなく文学的創作の世界から足が遠退いていった。
 私が小説家を目指していた頃はしかし学生時代であり、実際に何か仕事をして飯を食うという必要性もそれほどなかったのでそういう試みが出来たのだが、私は大学を卒業後、大学に張り出されていた一切の就職情報を見て選ぶことなく、大学で学んだこととは全く関係のない水商売の世界に足を踏み入れたのだった。それは文学から離れるには絶好の環境にも思えたからでもある。つまり私は都市という虚構そのものの渦の中に身を置くことによって寧ろ世界全体がフィクションであるという感じそのものを追い出したかったのかも知れない。それらはレストランの調理場で皿洗いをしたり、キャバレーでウエイターをしたり、要するに汗を流し、若い肉体を生活のために奉仕させることだったのだ。都市の片隅で生きることは、昨今のような劇場型社会の片隅で生きることが楽しいと感じる今風の多くの若者の走りだったのではないか、とさえ最近では思える。しかしそういう世界に身を投じた頃私が胸中に抱いていた意に反して私の世界に対する見方はそれ以前の事象の全てが、自然や社会、つまり世界の全てが虚構めいて見えるという感じを一層深めさせることにしか貢献しなかった。
 当時私は何箇所かの水商売の世界での仕事の後に、自宅で翻訳をすることをしだした。学生時代に語学には自信があったからだ。それはビジネス関係の書類である英文の翻訳が中心の業務だったのだが、時々日本の商社などから多忙な時には海外の支社や、海外のクライアントへ向けて記述された日本語の文章を英語に翻訳することも頼まれるようになっていた。しかしその仕事は忙しく金になることも時々はある割に創造性は全く乏しく、全ての仕事を終了した後にも疲労感だけが蓄積される、といった感じが拭えなかった。
 基本的に日本語には英語へと極めて訳し難い語彙というものがある。その一つが「遠慮する」である。例えば英語には「配慮する」とか「考慮する」のような表現の動詞はあるが、日本語で遠慮するという行為性そのものが英米文化そのものにおいて希薄なので、それを訳すというのは骨の折れる作業である。つまりmodestという語彙は明らかに遠慮とは異なっている。しかしいざ翻訳するとなると、それを使用するしかないような状況もしばしばあったし、全く別の語彙を仮に使用しても尚、そこには原文の遠慮するというニュアンスは正確には伝わらないというもどかしさが常に残ったのだった。私はそういうことが積み重なって次第に別のもっと精神衛生上いい仕事はないものか、と模索するようになっていった。幸い私の下には翻訳の業務は比較的コンスタンツに依頼があったし、またその業務をこなすこと自体にも大分慣れてきていたから、私は暫くはその業務を惰性的に続行させながらも、同時に精神的には別の業務のことを考える心の余裕というものが生まれていた。
 そんなある日のことだった。私は最後にしようかと思って引き受けたかなり大きな翻訳業務がかなり終了に近づいてきていたある日のこと馴染みのギャラリーにでも出向いてみようかと思って電車に乗った。丁度私の住む町から一つ目にそのギャラリーはあったのだ。健康のためにそこまで歩いて出向くことも多かったのだが、その日は夏のかなり暑い日だったので電車に乗って行くことにした。
 その時から丁度十五年くらい前のことだったのだが、私がそれより一、二年前に引っ越してきてその頃も住んでいた東京から電車に乗ってほどなく行ける距離にあるある歴史的な風光明媚な都市の片隅にあるギャラリーの存在を知った(私の住むマンションはその伝統的な景観の都市からはやや距離のある隣の駅のすぐ傍である)のだが、そのギャラリーに仕事の合間に時々出掛けて絵を見ることが習慣になっていたし、ただ見るだけではすまないという気持ちも手伝って時々安価な値段の絵を購入したりしていたその場所に久し振りに出掛けてみようか、という気になってそこに出掛けたのだ。
 オーナーの伊豆倉は私がそのギャラリーのドアを開けるとチリンと鳴る風鈴のせいで一旦控え室の方に赴こうとしていたが、私が入店してくるのを確認するために振り返った。
「やあお久し振りですね、金城さん。」
私はここ数ヶ月職替えのこともあったし、最後に大きな収入を得る(新しい職に就くためには軍資金が必要である)ために働き通しだったので、以前は月に一度はそこに足が向かっていたのに全くこのギャラリーに足を向けることがなかったのだった。だから私の顔を確認した時、伊豆倉は一瞬懐かしい感じの表情を私に見せた。
「どうです、最近またいい絵が入りましたか?」
私が品評会に出席して時折売れ筋のいい絵を購入して店にディスプレーする習慣になっている彼にそのように尋ねた。すると彼は私に
「棟方志功の鑑定書付きのいい絵が入りましたよ、どうです、金城さん。」
とそう言って、壁際に数枚重ねておもむろに床に並べてあった額縁付きの絵の中からそれを選び出し私に見せた。それは比較的晩年に近い作品だった。私は元来世界が虚構であると思える感慨を一番よく表しているものが絵だと思っていた。だから本当は画家を目指すべきだったのかも知れない。しかし画家という職業は出来上がった作品の素晴らしさとは裏腹にちょっと想像しただけでもかなりしんどそうな仕事だと思っていた。ただ趣味で絵を描くことと職業として絵を描くことは天と地ほどの開きがある。それだけ身体的にも精神的にもきついものであるからこそ我々の琴線のどこかに触れるのだろうということが私には最初から直観的に感じられたのだ。
 伊豆倉は私に徐に私に布に包んでいた額装した棟方の絵を私に見せた。この男は日常的な私人として交際するには最適な奴だ、と前から思っていた。そう思わせるのは、この男のあまり私自身の私生活に踏み込んでこないそういう気遣いから来るものなのだろう。私は一度も正式に結婚したことがそれまでなかったが、この男はちゃんと家庭を持って、生活の基盤をしっかりと築き上げてきていた。それが却って自由に生きる気持ちでいたわけではないものの、結果的には自由な生き方となってそれまで過ごしてきた自分のようなタイプの中年男に対して正反対であるが故に一定の理解と共感を持ってくれることが出来たのかも知れない。自分と似た人生の歩み方をする人間とはだいたい人間は巧くはつき合えないものである。今になってみれば彼との出会いが私の人生を大幅に異なった方角へと、それまでの私の未来への想定にはなかったような方角へと連れて行ってくれることとなったのだ。
 その時私に見せてくれた棟方の作品は最晩年の板画であったことがすぐさま見てとれた。棟方は板を掘って刷る仕事の他にも多く油彩画も描いていたが、一番世界的に有名となったものはやはり板画である。私は以前西武池袋線で終点の秩父より一駅手前の横瀬で降りて、歩いて羊山公園に芝桜を見に行った帰りに立ち寄った美術館で絵以外にも彼の画業を知ることの出来る画集を見た時、棟方の仕事が私の中に密やかに侵入してくるのを感じたのだ。それは静かなしかし確実な共感だった。何故その時ミュージアムで見た棟方の釈迦十大弟子その他の作品に魅せられ、しかも画集で油彩画等の仕事もしいたということを知って共感したかと言うと、恐らくそれは棟方が私の中にあった世界そのものが虚構に見えるという感覚に対して、その虚構そのものが再び自然へと立ち戻ってゆくことが出来る可能性に対して共感したのに違いなかった。そしてそれは私がそういう感情に浸ることの出来た今まででは最後の瞬間だったような気もする。
 そうなのだ。志功のその板画は明らかに晩年作風を転じだした頃のものだった。世の中ではかつてしきりに言われたこととして勝ち組と負け組という区分けがあったが、まさに出世という一語が象徴する意味では人間社会では経済的にも政治的にも巧く世を渡る者を勝ち組とかエリートと言うのなら、アーティストは敢えて負け組的な人生、生活、人生観、生活観を率先して引き受けるからこそ名作を生む。それは金儲けとも政治的手腕とも相反する者たちの生き様である。そしてその相反する価値を社会において高額な美術品として捌くのが画商である。
 強烈なイメージで売り出し世間を賑わす小説家は負け組を理解することは出来るが、アーティストほどはその中にどっぷりとは浸かっておらず、そこそこのブルジョアであり、要するに勝ち組に対しては批判的であるが、負け組にもなれない風の中間層であり、相互の調停者とも言える。小説家も画家同様あまりにも勝ち組と負け組の差が歴然としており、売れない小説を書く輩も五万といる。それは画家と同じである。だが我々はそういう負け組に対してある種の敬愛心も持ち合わせている。だから我々は人生において共感というものをより負け組の人間に対して抱く。大望がありながら果たせずに終わった人、自分ならもっと巧くやれたのにこんなにも不器用な、と思える人に対して我々は判官贔屓するし、そういうずるくない人間に対して共感する一方、そういう人間に自らなりたいとも思わないし、お手本にしたいとも思わない。そういう場合人間は平素憎き敵方の勝ち組に対してアンチ・ヒーロー志向的にお手本にする。敵ながらあっぱれと思い、自らの処世訓に彼のアンチ語録をつけ加える。
 共感することと見本とすることは常にどこかでずれている。共感し得る人間や生き様は実は自分の方が優位に思える、劣等感を抱かずに済むからこそ存在する。自分はそういう生き方はしたくはない、と思い寧ろ共感感情からすれば軽蔑したくなるずるい生き方の人間を密かにお手本にして生活するのだ。つまり人間は処世に関しては善人やお人好しからよりも、より悪党、ニヒリストから学ぶ。愛すべき不器用者からは学ばず、憎き器用者に学ぶ。私にとって志功の芸術世界は負け組に敢えて率先して飛び込んだ典型に見えた。寧ろ彼こそアンチ・ヒーロー志向を無効にするようなエネルギーの持ち主だと思えた。不器用な巧さという所謂「ヘタウマ」とも違う気がしたのだ。
「棟方の作品は贋作が多いんです。」
伊豆倉はそう言ってこれは贋作では決してないんだ、と言わんばかりに額縁をひっくり返してそこに日本美術クラブの鑑定書が張ってあるのを私に見せてくれた。
 美術品はその画商が扱う商品のために自分の手に入れるまでの来歴を、より市場価格が安定し贋作が作られやすい画家ほど注意する、と彼は私にいつか言ったことがある。贋作とはそれを作ってでも元手が取れる画家しか贋作家は作ろうとは思わない。海外マーケットにも流通している画家の中ではレオナルド・藤田とマリー・ローランサンがかなり多いらしい。レンブラントも多いというのは私も聞いたことがあった。贋作を作ってもあまりにも手がかかるのでその贋作を売って儲ける価格よりも高くつくものは贋作の対象にされないことの方が多く、例えば複雑な技法の版画のメゾチントやエングレーヴィングなどは殆ど贋作にするメリットはないので贋作は少ないだろう、とも彼はいつか私に言ったことがある。
「でも金城さん、日本美術クラブではね、皆が挙手をして多数決で真贋を決定するわけですが、誰もが真作であると疑わないものの中でも贋作がある場合もある、つまり真作として世間に出回っているということですな、逆に真作であるにもかかわらず、例えばサインをしないことで有名な画家が画家から直接購入した作品のような場合、作品に付け加わったサインのお陰で贋作とプロの鑑定家にレッテルを押されたものの中にも実は真作が混じっている場合だってあるんですよ。そういう場合真作であることは裏の市場で出回っていてもいつか誰かに気づかれるケースがあって、そういう場合その真作を第一に発見した目利きのコレクターが安く買い入れて後で一儲けすることもあるんですよね。」
とまるで「でもこの棟方はホンモノですよ。」と言わんばかりの自信たっぷりな顔つきで私に美術界の裏話をする伊豆倉だった。棟方の作品は云十万円くらいから云千万円まで幅が広い。しかしこの男は人間的には信頼出来ると私はずっと思っていた。だから彼が言うことを私は信用した。しかしホンモノがニセモノとして通り、ニセモノがホンモノとして罷り通る、これは何たる皮肉ではないだろうか?以前あった考古学の捏造事件のことを私は思い出した。昨今は行政の世界でも詐欺まがいの事件が頻発している。でも皆本物らしい偽者になるということに器用な詐欺師(それは世間には大成しているとされる人の中にも大勢いる)の方に処世訓的には見習いたいというところがあり、それが人間の性悪的な部分なのだ。私の経験から言っても愛すべきキャラクターという奴にはどこか同情すべき部分や憐れむべき部分という、要するに自分は安全地帯にいるのにそいつは気の毒にという半ば軽蔑心さえ入り混じった感情が宿っている。共感することを厭わないほど不器用な負け組にはなりたくはない。本物なのに偽者としてしか通らない人生なんてまっぴらだ、生きている間だけ輝いていられるのならたとえニセモノでもホンモノらしい方がずっとましだ。ホンモノなのにニセモノとしてしか通用しないでいるよりは。そう私も考えていた。
「ところで最近あんまり今の仕事に生き甲斐を感じられなくなったといつかおっしゃっていましたね、金城さんは。」
と急に伊豆倉が切り出した。一体何のことだろうと一瞬思ったが、私は時々本音的発言をこの伊豆倉にはしたくなることがあって、一回そういうことを言ったのに、張本人である自分はすっかりそのことを忘れてしまっていた。その時も「そうか、俺そんなこともこの男の前で喋ったのか。」という感じで
「そうだったかな。」
と気のない返事をした。そういう私的なことを何とはなしに話してしまえることとは、商売人に特有の利益になる人とそうではない人という区分けでだけで生活上で知り合う全ての人に対して判断を下すことを潔しとしないという生き方が感じられる者に対してしか成立しないコミュニケーションである。例えば人間には他人を見る時、好きな奴とそうでない奴という二分法でしか判断出来ない奴もいるし、自分にとってためになる奴とそうではない奴という二分法で見る見方も当然考えられる。あるいは女性は概して、信頼出来、金銭的にも社会地位安定的にも頼れる男性とそうではない頼れないどうしようもなくだらしなく下らない男という二分法を持つ。もっと極端な出世欲にとり憑かれたタイプの人間の従えるいい上司と命令出来るいい部下という組み合わせもある。しかし意外とそういう二分法に支配されている輩に限ってそういうマターをひた隠し、どこかで反体制を気取る。その点伊豆倉はそういう欺瞞的なタイプではなかった。そういう意味でディーラーとしては良心的なタイプだったと言ってよい。伊豆倉は最初の内は寧ろあつかましさというものは感じられはしないものの、どちらかと言えば商売人にしては無愛想な性質だった。また商売人固有の商魂そのものを隠蔽するのも下手だった。あるいは権威ある者に対する配慮という点に関しても隠さなかった。しかしそういう権威に対して阿る部分を極度に否定する者の方が却って警戒すべき輩が多いということを、この伊豆倉とのつき合いで私は知った。真の詐欺師とは善人振るのが巧みであり、警戒心を持たせない名人なのだ。その点伊豆倉は警戒心を第一印象から持たせるくらいの態度だった。しかしそれが私の交友歴から言っても稀有のケースとして長く話し友達でいられた理由だったかも知れない。少なくともある時期が来るまでは。私は彼とのつき合いから離れていった時、私の私生活は百八十度転換していったのだ。
「それがどうしたんだい?」
私が伊豆倉になんでそんなことを聞くのかという顔つきでそう言うと、彼は
「何か面白そうなブログを見つけたんでね。」
私は急にそんなことを私に告げる伊豆倉に
「どういうようなの?」
と好奇心がある風を装ってそう聞き返した。すると彼は
「何かね、私的なことで依頼したいことがあって、高額の謝礼を弾むから、依頼を引き受けてくれる人は顔写真を添えて、既婚、独身いずれかと、メールアドレスと、携帯の番号を記入して送信するようになっているんですよ。」
「一体業務は?」
すると伊豆倉は
「何か依頼者をこちらで決定し次第詳細は説明するっていうらしんですよ。」
と言った。私は多少怪訝な表情を隠さず
「何かやばそうな仕事じゃないだろうね?」
と伊豆倉に念を押したら、彼は
「でもそのブログ自体は健全な内容の奴でしたよ。」
と言ったので、
「どんな内容のブログ?」
と私が尋ねると彼は
「ブログやインターネット社会でのその活用の仕方に関する世論を寄せるようなタイプのブログでバックには有名なアメリカのプロヴァイダーが協賛しているみたいでね。」
と答えた。私は伊豆倉にそのブログのアドレスだけ聞いて、自宅で早速興味本位で検索してみることにした。彼の言うことだからそうやばいものでもないだろうと言うのは、彼が協賛していると言ったプロヴァイダーがかなり信用のおける社名だったことによる。
 私が発見したそのブログは彼の言う通りだった。ブログが作られた目的そのものは極めて堅いものだった。例えば現代の通信情報網社会が現代人に与えるストレスの問題を世界的生理学者に意見を言わせたり、人類の意思疎通を、言語学者によって説明させていたりしたのだ。その二人の意見を統合して纏めたブログ提案者の意見によると個的な意味と体験、そして集団に社会成員として同化するために身につける言語とは常に齟齬があり、その齟齬が自己本位を表出することが出来ずにいて、しかも欲求を十全には充足し得ない社会の個に差し向ける制約からの脱皮という意識が言語行為の内的なモティヴェーションには潜んでいる、つまり非充足的な欲求不満の解消が言語行為であるという側面が否定出来ないというような内容のものだった。それらは日本語と英語の両方のヴァージョンが用意されていた。各ヴァージョンいずれかを選択するようにクリックするようになっている。そしてそのブログには通常のポータルサイトでは画面の端に確かめられる箇所に、このブログを世界的規模で維持してゆくためのスタッフ募集があり、その募集には語学に堪能な者に対しては英語から日本語、英語から韓国語、あるいはスペイン語からロシア語へのというように多くの組み合わせパターンで異なった言語同士の翻訳問題が出され、数学が得意な者に向けては高度な数学の問題が示されており、共にそれらをクリアした者の中からスタッフを決定する旨も示されている。そしてそれ以外に小さくよく確認しないと見過ごすくらいの文字で特別依頼という項目も設けてあり、その小さな文字で示された特別依頼という項目をクリックすると、そこには名前と生年月日、身長体重、既婚の有無、携帯番号、メールアドレス、現在の職業と週勤務平均時間を明記する欄か設けてあり、携帯写メールかeメールかで顔写真横、正面二つを送信という風に指示してあった。そして肝心の業務内容は「特別技能一切不要だが、詳細は起用決定後通知、高額保障」とあった。それだけから判断すると可もなく不可もなくとしか言いようがないが、そのブログ作成に協賛している社名からしか信用の二文字は出てくる根拠は皆無だった。しかしどんな些細なことであってもその時の私には今の惰性的な生活から脱却する可能性のあるものなら何でも食らいつく必要が感じられたので、早速その欄に全て記入し、そして写メールで自分の顔写真を指定されたアドレスに送信した。よく見ると、時間毎にそのアドレスは変更されているようで、かなり多数の携帯で受信しているようだった。その携帯はただ単に応募者を募るためだけに使用して起用者を決定したら即座に廃棄処分にする積もりなのだろう。
 しかし私はその日あったことをじきにすっかり忘れてしまい、又再び元の翻訳業務をメールその他で依頼を受け応じるという生活に戻っていた。土台私はあまり夢のような幸運というものを信じるには現実の虚構めいた悪辣さを知り過ぎていたのかも知れない。つまりあの伊豆倉に面白いブログと言われた時、そういう瓢箪から駒とはお世辞にも信用するに足るものとは言えないということを、私は寧ろ無愛想な印象を持つ伊豆倉から教わったとさえ言えた。その張本人から教えて貰ったことである。どうせ夢物語に違いないとそのブログを見て即座にその求人に応募してから、その夜寝てから全て忘れた。そういう風に私に忘れさせたことの原因の一つは明らかに後から考えると、あの時ブログで得た印象の堅苦しさ、つまり学術的な内容とかけ離れた、まるでブログ作成者の私的な用件ででもあるかのような印象の求人項目だけが妙に他の求人、つまりスタッフ募集から浮き立った印象だった、ということである。私はそういうことにあまり関心のあるタイプじゃなかったのだ。
 私はその日翻訳業務を始めた頃から私に仕事を斡旋してくれた恩人の頼みで結局もう次の仕事を探そうという意欲そのものを捨てかけて、新たな依頼、つまり企業内の情報システム管理上のノウハウを記述したアメリカの専門書の翻訳を企業向けの出版社から自宅に置いてあるプライヴェートなパソコンではなく、業務用のパソコンに届いたメールで引き受けることを承諾する旨の内容のメールを返信したその日の午後、私の携帯に呼び出しがかかった。そしてその声の主は明らかにヴォイス・チェンジャーを仕込んだ声で私に次のように語りかけてきた。
「私はあなたが申し込まれた求人欄を作成したブログの管理人の佐橋と申します。今はちょっと事情が御座いまして、私の身元を明かすわけには参らないので、こんなお声で申し訳ありませんですが、ご容赦願います。」
唐突なその語りの内容にやや狼狽した私は
「ああ、あの求人欄の。」
とだけ言って佐橋と名乗る男の次の句を待った。すると佐橋は
「あなたを採用させて頂くことに決定いたしました。」
と言ったので私は
「ああ、すっかり申し込んだことを忘れていました。」
と言うと佐橋は
「実は採用条件はあなたの風貌だったですが、その理由はおいおいお知らせさせて頂くとして、まず労働時間ですが、土日、休日は全て休みです。そして業務内容はただある部屋で待機して頂くだけで結構なのです。それだけです。」
と、ぶっきら棒にそう伝達する佐橋に対して私は疑念を隠さずに
「それは一体どういうことですか?」
と質問すると、
「まあ、いきなりそう言われればどなたでも面食らわれることでしょう。ある理由からあなたには何もしないでいて貰いたいのです。しかしだからと言って何か悪事をするための幽霊会社とかの建前業務では決してありません。私個人の私費にてお願い申し上げる業務なのです。しかし一つ条件があります。」
と佐橋が言うので私は
「条件とおっしゃいますと?」
と先を促すと彼は
「その何もしない業務中決して眠らないで頂きたいということと、デスクに座って時計を見るなり何か想像されるなりなんなりすること以外、例えば部屋にラジオやテレビを持ち込んで見たり、あるいはパソコンでネットサーフィンだけはなさらないで頂きたいのです。本も駄目です。失礼とは存じますが、室内にはその規約だけを厳守させて頂くために監視ヴィデオを設置させて頂きます。それ以外ならストレッチ体操をなさっても構いませんし、床に転がってタバコをお吸いになっても構いませんし、居眠り以外なら何をなさっても構いません。例えばスケッチブックを持ってこられて、何か絵をお描きになられても構いません。ただし鉛筆とかボールベンとか万年筆以外の持ち込みは禁止します。そしてこれが大切なことですが、外の景色も一切見られないようにブラインドも下ろしておきますので、それも引き上げたり、窓を開けたりは決してなさらないで下さい。要するに業務内容は指定された室内にずっといて何もしないでいることだけなのです。」
と一気に佐橋はまくし立てた。その話を聞いた時、私はまるで心理学実験の被験者の募集か何かだとてっきり思ったので、そうかどうか確かめようかとも思ったが、最初に彼が今は事情があって、ということだったので、聞くことを止めて、彼に先を促した。
「それで。」
「ええ、そして一番大切な給与のことですが、原則として毎月二十五日締めで翌月五日払い、銀行振り込みにて日給百万円でお願い致したいのです。」
と素っ気なく言い放った佐橋の提案に私はその日給百万円という給料に対して度肝を抜かれた。一体この高額報酬の実体とは何なのだろう?私は咄嗟にそう思った。そして
「日給百万円?」
と佐橋に対して携帯越しにそう叫んでいた。そして佐橋は更にこうつけ加えた。
「一年契約でお願い致したいのです。そして契約が切れた時、私はあなたに一度お会いして、このお仕事をあなたに依頼した理由を全てお話したいのです。」
私もその時まで世の中には色々な奇妙な依頼された仕事があることは聞いていたが、彼の言う業務内容の単純さと、それに対する報酬の高額なのにははっきり言って驚愕した。しかしそれが本当ならそう割の悪い仕事でもなさそうなので詳細を聞くことにして私は尋ねた。
「食事と休憩時間の過ごし方が自由なんですか?」
すると佐橋と名乗る男は
「基本的に外部から例えばあなたに携帯で連絡がある時以外は一切自分の方からは外部と連絡を取らないで頂きたいのです。そしてお尋ねの食事と休憩時間ですが、まず休憩時間内もその部屋の中で過ごして頂き、当然お食事もそこで取って頂きたいので、食事は冷蔵庫を室内に設置させおき、そこに入っているものを、毎日食事は朝業者に頼んで配送させますから、それをお食べ下さい。そして電子レンジも冷蔵庫の隣に設置しておきますから、それをご利用なさって、暖めるものは暖めてお召し上がり下さい。」
と冷静な口振りでそう答えた。私はまるで狐につままれた気分になって、どうしてそんなことをさせるのか、と尋ねようと思ったのだが、事情があるからこそヴォイス・チェンジャーで声を隠しているのだから、それ以上聞こうと思っても無駄だ、と私は諦めて、ただあまりにも高額な給与なので、度肝を抜かれて、ただただ胸中で、どうしようか、引き受けるべきか、ということだけに思念を集中させた。そして佐橋が
「どうですか?お引き受けなさいますか?」
と返事を催促してきたので、条件反射的に
「やります。お引き受け致しましょう。」
と自分でもびっくりするくらい快諾していたのだった。しかし不思議と、前職である翻訳業務のきつくて単調な毎日から少しでも気分転換出来るのではないかという安易な推測からだが、そう返答して「しまった」とは思えないのだった。
「私のことをご信用なさって頂けないかも知れませんので、前金として五十万ほどあなたの口座に取り敢えず振り込ませて頂きますので、銀行名と口座番号をお教え願えないでしょうか?数日以内に必ず振り込むように致しますので。」
と佐橋が言うので、私は自分が持っている銀行の口座番号を快く佐橋に教えた。私はその時一瞬、自分が殆ど英語と日本語の活字だけを一日中眺めて過ごしてきたので、いい気分転換になると思ったのだ。そしてこの男がただの冗談でこんなことを言っているのか、それとも本気なのかは、振り込まれるという五十万円によってある程度明らかになるだろう。そして私をその部屋に閉じ込めておいて、本当にただそれだけで私に報酬を一切支払わない時には、この仕事の応募を発見した例のブログにその旨書き加えればよい、いざとなったらいくらでも告訴する手段ならあるぞ、とも思った。そしてもしこの男が全て本当のことを言っているのなら、自分はあと一年後は一億くらいの収入を得ることになる。最初の五十万と、それから一ヶ月だけ待って何も報酬が入らないという場合、その時には暫くいい夢を見させて貰ったと諦めればよいだけかも知れない、とも思ったのだった。
佐橋は
「あなたに働いて貰う部屋があるビルをあなたの携帯に後で住所を送信しますので、それではよろしくいいお仕事をして頂くことを期待します。そして最初の出勤日は明日です。」と言い放って、私が何か聞こうとするのを遮るように電話を切った。私は一時間くらい狐につままれた感じの状態で私の自宅の電話を貰った時に座っていた翻訳をする室内でぽかんと口を開けたまま過ごした。そしてその仕事を引き受けたなら、今まで私の生活をいい意味でも悪い意味でも成り立たせていてくれた翻訳の最後の仕上げをするためにパソコンと辞書とに向かい合った。明日からまた今までと異なった生活が始まろうとしている。しかしもしその仕事があまり向いていないようなら、その時また考えればいい、とも安易に私はそう思っていた。人から薦められてあまり気乗りしない本を読むことの退屈ささえ感じる暇のない、何もしない業務、これはこれで一つの人生経験なのかも知れない、そう思って安易に仕事を引き受けた自分を正当化していた。

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