私は徐々に業務に慣れていった。それはサリーに手渡してくれる日程表や、彼女による私が外出中で私と同伴出来ない時には私の携帯のメールやら、車中でも常に持ち歩いている卓上型パソコンのメール等に随時送信してくれる次の行動の指示に概ね従っておればよかったし、パーティーに出席する時には既に沢柳から時々来る私の私用の携帯や、パソコンに別名で届くメールにその都度、会う人々の経歴や性格、趣味などは示してくれていたので、私はそれに従っていれば、ある程度のことを切り抜けられた。後は私自身の翻訳業務時代に培った社会的常識とかノウハウを応用すればよかったし、何より私はパーティーそのものの雰囲気には昔から慣れていた。それは私が世界が虚構めいて見えることを最も象徴した場所だったからだ。だから若い頃からそういう場所で振舞うことそのものは苦ではなかった。時々ヴェロニカを抱くことだけがかなり緊張を持続的に強いる日常だったこと以外は、パーティーでアラブの石油王や、アメリカ国内の鉄鋼王とか、世界的ポータルサイト運営会社のCEОや、時には映画スターやロック歌手たちと雑談することはそれほど億劫でもなかった。
製薬会社CEОのネルソンとは、沢柳本人時代には面識のない人物であった。だから当然私が彼にとって初めて会う「沢柳静雄」である。そして不思議なことに彼とは最初から馬が合った。沢柳本人時代にはこのネルソンの製薬会社とは縁がなかったのに、副社長のストーンランドが私に彼らの社と広告契約を取ることを提案し、向こう側の副社長リッチモンドもまたストーンランドと合意に至っており、その旨私はストーンランド自身からも、ジム・クラークからも伝えられていた。私は沢柳に連絡を取って「あなたの一存でお決め下さい。」との指示で、初めて自分の裁量でストーンランドにОKのサインを出した。
沢柳の実際の年齢は知らなかったが然程私と変わりないだろうが、ストーンランドは私自身よりは九歳くらい若かった。有能な経営陣であり、それは沢柳も強調していた。もう一人の副社長であるジム・クラークは私より五歳くらい若かった。しかし私が沢柳本人と交代することで、それまでは私の「本人」と馬が合っていたのに、私になった途端相性が悪くなる者、あるいはその逆で沢柳「本人」にとって腹心であった者の一部が私になった途端、怪訝になるという事態が最も替え玉としての私にとって憂慮すべきことであったが、幸いそれまでのところそういった現象は立ち現れてはいなかった。しかしそれは向こうから私に対して持たれる感情であって、私から向こうへと渡される感情ではなかった。そのことに関して顕在化するのはもう少し後のことである。そしてその時期私にとっても最も心地良かったのは、サリーという人物が「本人」時代から「私」に対してより大きな信頼と忠誠心を抱いていたということが、最初から、その時期まで通して私に実感出来たことだったのだ。私は彼女の娘の誕生日には祝いをしてやったりした。勿論それもまた「本人」時代からの慣例としてであるが、そこには私から彼女への誠意も加わっていた。
しかしそれまでは私は一度も困難であると思えることはそうなかった。オフの時間にはまめに沢柳に彼の人脈において未だ知らされていない者がいないかどうか確かめるためにメールをパソコンで送っていて、向こうからその都度返信して貰っていたからである。しかしついにそうしながらも落ちこぼれた彼から私への情報が露呈する時がやってきた。それは彼の高校時代の同級生とやらがある日、全く私的な、つまり沢柳としてではなく、私が渡米してから培った滞米経験から、植物栽培のサークルで一ヶ月に一回、近くの教会の一角で行う集会に参加するようになって三ヶ月目に、よりにもよって全く私が沢柳として生活するようになったサンタフェの市民としての生活の中から潤いを求めて参加したその集会で、日本からやってきた栽培園の関係者としての来賓にいて、沢柳とクラスメートだったと私に近づいてきたのだった。私は沢柳の青少年時代のことは全く知らされていなかったので、
「おお、沢柳久し振りだな。俺だよ、下塚だよ。」
とその高校のクラスメートだと名乗るその男に集会の来賓として紹介された大阪の栽培園の関係者の中の一人が私にそう声をかけてきた時、率直に私が心臓が表へ飛び出そうな勢いで高鳴り、それが彼に聞き取られるのではないか、と恐れさえした。しかしそういう時こそ落ち着かなくてはと思い、私は技とすっとぼけて
「そうでしたっけ、ですか?」
と変な応対をした。久し振りにする日本語の会話だった。すると予想に反して彼は
「そうだろうな。お前はあまり変わっていないけれど、俺は昔ひょろっとしていたけれど、今はもうこんな腹も出てきたからな。」
と中肉中背と言うよりは少々太めの彼はそう言った。その口振りからすると、沢柳とその男は然程親しい間柄ではなく、ただ単にクラスメートであるに過ぎないといった雰囲気だった。その時私は沢柳に関する自分の知り得る全てのデータを想起しつつ、何とか辻褄合わせに必死だったが、元来昔のクラスメートなどというものは、社会に出た後で偶然会うということは、そう誰にとっても楽しいものではないケースの方が多いのであり、だからこそ私が取り繕った時の会話のぎくしゃくしていることとは、私自身が沢柳本人ではないということからくる焦りというよりは、そういう一種の社会的地位の高い人間が昔のまだ社会的地位が何ら確定していない頃の知り合いに合う場合の気まずさとして理解してくれたらしいことを思えば、その時偶然居合わせた周囲の他者の眼からしたら、それほど不自然ではないということも言えたのかも知れない。
しかしである。その後に私に訪れた偶然とはもっと始末の悪いものであった。そうなのである。それは私がビジネスで移動中にこともあろうに、私が沢柳から聞かされていない彼の知人と遭遇したのではなく、まさに私、つまり金城悟自身の古い顔馴染みだったのである。
その日私は前夜に久し振りにヴェロニカといつものレストラン(あれから例の初めてあの時利用したヴェトナム料理店が私たちの待ち合わせの場所になっていた)で合い、あの時利用したモーテルで休憩してから、ヴェガスに繰り出しホテル・フラミンゴに宿泊していた。そして朝私の運転手である黒人のトムに本社まで乗せて貰うように、前夜に手配して、ヴェロニカを寝かせたままホテルで早朝チェックアウトした。ホテル・フラミンゴから私の毎日勤める本社は数十分で到着した。
ヴェロニカと逢う時は、最初だけはそのヴェトナム料理店にしていたが、その後は、いつも気まぐれに行き先を変えていた。しかしその日は私自身の感傷から、私、つまり沢柳に扮した私にとって最初に彼女と逢った時のモーテルに行った。だから彼女にとってはその時気まぐれに行った場所というに過ぎないそのモーテルが私には格別の印象の場所だったのだ。その時と同じようにその前日も私がレンタカーを運転しながら、勝手にそこへ向けて走らせたのだ。
その日の早朝からニュースは世界的ITソフト開発企業であるミューズソケット社の創業者エディー・レンディーが恐れていたライヴァル社のポータルサイトクリエイターであるズームアップ社に対して間を空けるために、世界で二番手のシューズデザイナー社の株を買い占めるというニュースで持ち切りだった。副社長のマイケル・ストーンランドは私が早朝詰めているソファが置かれたアイデアルームと沢柳が呼んで来た応接間にそそくさとドアをノックして入ってくるなり
「わが社の態度を明確にしておかなくてはなりません。どう致しますか社長、もしミューズソケット社から手を組まないかと言われたら。」
と私に真意を尋ねてきた。私は以前からミューズソケット社の思惑を薄々勘付いており、その時のために沢柳に連絡して相談していた。しかし意外なことに私の社内のプライヴェートルームにかかってきた彼からの電話では
「君の裁量に任せるよ。もう君の判断で好きな方につけばよい。」
とそう言ったので、私は以前からミューソケット社のやり方にある種の強引さと独占禁止法すれすれのマナーに憤りを感じていたので、一も二もなく私自身の判断でもしミューズソケット社から何か言ってきても一切無視し、逆にズームアップ社からの申し出を受けようと決意していたのだった。案の定ズームアップ社のCEОのバルバドス・ロメオスが私の私用電話(アイデアルームに引かれてある)にかけてきて
「私たち、つまり私どもシューズデザイナー社とズームアップ社と組んで、ミューズソケット社を追い落としませんか?」
と殆ど単刀直入にそう尋ねてきた。私は結局その日ロメオスの申し出によって彼のプライヴェートな時間に使用しているカリフォルニアのサンディエゴの郊外にある別荘に招待されたのだった。そして私用ジェット機のパイロット、ウィリアム・サーストン(白人)の操縦によってロメオスの邸宅の敷地内にある私設滑走路に到着して彼の邸宅内に用意してあった食事をご馳走になったのだった。
ビルの操縦するビジネス用ジェットでヒスパニック系で未だ三十歳になったばかりのロメオスの邸宅に設えられた立派な滑走路に降り立った時、私の視界には砂漠質の土壌で砂埃が今にも立ちそうな荒涼とした荒野のど真ん中に立派に聳える邸宅がまるで、楼閣のような出で立ちで仁王立ちしているように思われたが、サボテンや砂漠系の植物に覆われたオアシスのような一角に立てられた二階建ての邸宅の前はプールサイドとなっており、テラスからロメオスが手を振って私を歓迎してくれた。その時がまさに私が渡米して沢柳になり済ましてから、初めて私的なビジネスパートナーからの招待だったのだ。まさにあの伊豆倉と二人で話し込んだりして以来、金城悟としても久し振りのビジネスパーソンとの私的時間だった。それまでは殆どが本社ビルにおいてか、街に繰り出して予約しておいた高級レストランにおいてのあくまでビジネス会話であった。勿論ロメオスとの対話も目的はそういうものであったが、今後の二人の交流を確認するための形式的ではない会話にしようという向こうからの提案である。だから翌日夕方にサンフランフリスコのレンタル会議室において私とサリーとマイケル・ストーンランドとスカイスレッダー日本支社から派遣されたビジネス専門の顧問弁護士である日系三世のレオナルド・岸田という男と、その日本社に到着することになっている副社長ジェームス・クラーク、後はロメオスと、ロメオスのシューズデザイナー社の腹心スーザン・リンドバーグと彼らの弁護士レオン・ソダーバーグ、そしてエンジニアであるマーヴィン・ブラックモアであった。
私が沢柳になり換わってからまさにもうじき一年という頃合のことだったので、私は比較的新しいビジネスパートナーとの和やかな対話と食事(食事中には彼自慢の特別注文で彼が作らせた迫力の大画面のテレビにアクション映画のDVDを見せてくれた。)の後に、まさか忘れかけていた本名を呼ばれるなんて思いも拠らなかったのである。
私はその日、パイロットのビルにそのまま社の方に飛行機ごと戻って貰ったのである。と言うのも私がその翌週に日本の支社に社用で訪れるためにロスの空港までチケットを求めに行くため私をビルが下ろしてくれた時に彼とは別れたのである。(私はビジーな日常に気分転換を挿入するためにチケット等をネットで購入することをしないで時には自分で街に出向くことにしていた)ビルはロメオスの邸宅で私を下ろすと、直後にサンタフェの社に戻り、私は最初からそういうロメオスとの携帯での口約束で、彼の別荘に常時待機している運転手が運転する車でロスに向かった。しかしその時態々ロスにまでチケットを購入するために行くことにしたのは訳があったのだ。それは私が毎日お世話になっているサリーの娘さんが明後日十六歳の誕生日だというので、彼女が好きだというとある有名ロックグループのコンサートが行われるのがまさに彼女の誕生日だったので、私は気を利かせてコンサートが行われるロス市内のプレイガイドでチケットを購入してサリーに手渡してやりたいと思ったからである。そして私は予め朝ストーンランドにロメオスに合いに行く時にトムをそのプレイガイド前で迎えに来てくれるように手配しておいたのだ。だからチケットをサリーに娘さんのために買ったら、そのプレイガイドを出た歩道で待っていればすぐ時間通りにトムが来てくれる筈だったのだ。トムは今まで一分たりとも遅刻するような男ではなかったし、その時もそうだった。ところが私が丁度定刻通りにトムの運転するロールスロイスが到着しトムが後部座席に私をすべり込ませようとドアを開けたまさにその時、何と私に向かって
「金城さん。」
と声をかけてきた中年男の声がして、私は咄嗟にその男の声のする方に振り返ったのだった。その時確かめられた顔を見て、私は数年前伊豆倉の経営するギャラリーで一度だけ伊豆倉から紹介された絵画コレクターで特にアメリカ現代絵画ファンで古物商の飯島であることが即座に判明した。しかし私にとってその男は然程印象深い人物ではなかった。
しかし私はその場で白を切り、
「いいえ、私は金城ではありませんよ。ソーリー。」
とだけ言って即座にトムの車の中に納まったのだった。しかしその態度を怪訝に思ったらしい飯島は私の顔を暫くじっと車の中まで覗き込むようにしていつまでも不思議そうな顔をしていた。しかし私はそれを敢えて無視するように努め、トムに車を発車させるように首を振って促した。
しかし私が沢柳になり換わってから私は初めて嫌な気持ちでずっと暫く過ごさなくてはならなかった。その一件があるまではまるで自分が完全に沢柳になりきっていて、自分の本名さえ思い出すことさえなかったのだ。だから暫く私の顔色が優れないことを慮ってサーストンやストーンランドやサリーやトムやヒーリーが私の気分が優れないのではないかと気を遣ってくれたのは言うまでもない。
しかし私は次のようにパソコンのワード(勿論日本語である)で打ち出してそれをプリントして何回も読み直した。
<若い人たちは往々にして自分の力だけで全部出来ると思いがちだ。しかし私たちはある日社会というゲームに投げ込まれているのだが、実際自分の力でどうにかこうにかなる部分とはほんの微々たるものであることをある日知る。しかし私はそれを知るのが少し早かった。だからこそ世界が虚構めいて見えると感じ続けてきたのかも知れない。人間が自然の上に文明を築き上げたように社会というゲームを築いた先人の構築物の上に、ニュートンの言葉を借りれば巨人の肩に乗っかっているからこそ何か行動することが出来るのだ。私はただそれをしてきたに過ぎない。翻訳がそうであり替え玉CEОがそうである。私のしていることを犯罪と呼ぶのなら世界中の全ての仕事もまた犯罪である。>
しかし私が既に大きな決断でさえ沢柳からの提言や指令一切なくしてきていたその頃、私は何故だか沢柳が自分に徐々に業務を引き継がせ、終いには完全に私に全てを委ねた気持ちが理解出来るような気になってきてもいたのだった。つまり私はどこかで沢柳になりきりながらも、沢柳としてもう一人の私の替え玉を欲しいと思うようになっていたのである。
だが約束は一年である。そろそろ沢柳から連絡があって、今後の指示があるだろう。だから私は自分の裁量で私の引継ぎである沢柳とそっくりさんを沢柳が私を見出したように見出す必要はない。だが、どこかで自分がこのままずっとサハシーに成り済ましてやっていけそうな自信もあったし、何よりそういう風になってもいいなとさえ思っていたのである。
しかし不思議である。何か業務を終え、ほっとしている時には私はあの飯島との一件が心につっかえていたから、鎮痛な面持ちだったのだろう、だから私の周囲の人々が気を遣ってくれたことというのはそれはそれで嬉しかったのだが、実際職務に邁進している瞬間の連続において、私はまるでずっと昔から本人の沢柳であったかのように、まさにてきぱきと全てを滞りなくこなし、鎮痛な表情で想起する暇すらなかったのだから。だがもうじきそういう生活にも別れを告げねばならない。もう十分私は庶民の手には余りある収入を得ていたのだ。
だから飯島に声をかけられた翌日の夕方ロメオス側が指定してきたロスのレンタル・ミーティングルームへ出掛ける前にサンタフェの社のミーティングルームに午前十時に集まってストーンランド、そしてその前日に常駐しているニューヨーク支社から到着していたもう一人の副社長であるジェームス・クラーク、そしてサリー、そしてその日の早朝到着したばかりのレオナルド・岸田が(このメンバーが一同に会するのはその時が初めてだった)私と綿密なつまりズームアップ社との提携における自社側を有利な条件で進行させるプランを練った。結局深夜二時までかかって何とか結論を得ることが出来た。それも前日私がロメオスの招待を受けて相互の真意を表出し合っていたからなのである。
だからその日はビルの操縦する自社ジェットで私たちは夕刻に向こうの指定したビルのあるロス郊外の比較的そのビルに近い空港へと飛んだ。サリーにはビルの操縦するジェットの中で例のロックグループのチケットを渡してやった。彼女は頬を綻ばせ私が渡したチケットを嬉しそうに大事に握り締め、バッグの中にしまい込んでいた。彼女はサンタフェ市内に娘さんと暮らしている。それ以外の彼女の情報を私は知らなかったし、沢柳も私には告げていなかった。
私が約一年前にサンタフェに来て、沢柳になりすましてから、最も不思議だったこととは、仕事する時には個人的内面を気にすることがなかったということではなかった。それは私、つまり金城悟という人物のアイデンティティーを感じる瞬間が限りなく稀少であるということ、それはすなわち本当の自分なんてものは、ビジネスではあまり重要ではないということだった。私が早朝オフィスに到着すると、まずアイデアルームに篭る前にサリーが一日の日程表を私に見せてくれる。そんな時でも最初佐橋と名乗っていた今は不在の社長の言うように沢柳のビジネス名である静雄により、サワヤナギシズオを早く言うと向こうの連中にはサハシーと聞こえるらしいことから、皆彼をニックネームとしてサハシーと呼ぶことから、当然私は成り済ました初日からサリー他の連中からそう呼ばれてきたが、一度もそう呼ばれる自分の気持ちに違和感を持ったことなどなかったのだ。
だから正直言って逆に色々な業務のチェックとか決算報告とかのために年初に日本の支社へ来訪するために帰国することになった時(だからこそそのためのチケットをロスで買い求めたのだが)私は今までよりは幾分金城悟に還ることの恐怖を感じ出していた。向こうでなら、飯島と偶然会ったようなことはもっと頻繁に起こり得る。
しかし今から考えると私はその時あるいは、それから私に次々に起こることをある程度予感していたのかも知れない。確かに私が昔小説家を志したこととか、その後翻訳家になったこととかの経歴とか経験が、こういう特殊な状況を切り抜けるのには役に立ったと思う。しかしある意味ではサリーやトムやビリーが私の英語に何の不審も抱かなかったことが、私をビジネスにおいて、成り済ましながらも、いつしか自分自身がこの会社を切り盛りする(事実私は殆ど沢柳からの指令を受けずに全てをこなすようになっていた)ことに違和感を抱かないような日常を手中に収めることには成功したのだが、そのことが却ってそういう状況から離脱した時に味わうあの一種独特の気持ちを理解するくらいには先が読めなかったとだけは言える。しかしそれでも敢えてそのことに気づくまいとしてサリーたちにあたかも普段以上に沢柳らしく振舞っていたというのも、その実いつかはこうした茶番劇が終了すること、そしてその後色々取り返しのつかないことになることを薄々予感していたからだ、とも言える気がするのだ。
そしてその端緒となった出来事は日本へ帰国して比較的すぐに到来した。帰国し、日本支社の連中とする仕事が私に残された最後の大仕事である。
私はその日より一週間前の金曜日、僅か四日前にロメオス側の人間たちと自分たちサイドの人間たちとで協議し、提携の基本路線を綿密に話し合い、今後のスカイスレッダーの少なくとも二年くらいの目処は立ったところで、一息つきながら、トムの運転するリムジン(私用で出掛ける時はロールスロイスで、社用の時リムジンで送り迎えしてくれるというのは沢柳がトムに求めてきたやり方だった)でロスの空港に向かう車上で、私の脳裏に掠めたのは、あのロメオスがその協議の前日に私を私用の別荘に招待してくれた時彼が私にも差し出してくれたワインを飲みながら話してくれた内容だった。
「僕は本当に数年前には先行きどうなるのかという二十代の青年でした。確かにエディー・レンディーは世界でも指折りの富豪になったけれども、実際にはね彼は五十代のしょっぱなからもう守りの人になってしまっている。要するに若く成功した人というのは、どう転んでも、世界一というステータスを死守するしかもう手を出すことなんてないんだ。だから僕も行くところまでは行きますよ。でも後はそれまで手伝ってくれた人とは巧くやり、やはり今エディーがしていることをどこかで模倣するようなことになるのかも知れないですね、サハシー。(私がそう呼ばれるのにももう慣れていた)」
そうワイングラスを傾けながら
「だから一度エディーには倒されてもらわなくちゃね。この別荘の庭は全部日本人の庭師にやって貰ったんですよ。日本庭園のよさとマカロニ・ウェスタンのイメージを融合させた奴を僕は彼に頼んだんです。私幼少の頃例のクリント・イーストウッドが主演でセルジオ・レオーネが主演の「荒野の用心棒」と「夕陽のガンマン」とかが好きでね、成功して別荘を持てるようになったら、是非あの映画に出てくるようなタイプのガンマンに闊歩するような荒野をイメージした庭園にして貰いたかったんですよ。だって僕は不法入国者の子孫だし、ヒスパニックでしょ。そういう人間が成功したシンボルとしてそういうのってありじゃないですか。」
そう言えばロメオスの発音はどこかチカーノ訛りが最初からあった。しかし熱を帯びてくると、あるいは相手を信頼して真意を表出するようになると逆にチカーノ訛りから脱却していったことが不思議だった。だからこそ仕事で成功したのかも知れない。しかし興味深いことには、ヴェロニカは逆だった。相手に対して防衛心を解除すればするほどあの独特のスパングリッシュ風のチカーノ訛りが露呈した。 私はスカイスレッダーの歴史に残る業務を自分がいる間に成し遂げたのだ。何だか妙に自分の人生を振り返って、それが犯罪であるにもかかわらず、すがすがしさを覚えていたのだ。結果全てのビジネスで私は沢柳として一つの社の転換点に立ち会ったのである。
Sunday, October 11, 2009
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