しかし私はタヒチでも長居はしなかった。即座にフランスのモンサンミッシェルに飛ぶことにしたのだ。と言うより予めそう決めていた。タヒチの海岸で飲んだトロピカル・ジュースの味が未だ舌に残っている間に既に飛行機は韓国ソウル、そして中国北京へと着陸していた。更にそこからロシア上空を飛び、モスクワで一度着陸し、再び今度はパリに向かって一路飛行機は飛び立った。
結局私が替え玉としての生活に区切りをつけたものの元通りの自分には終ぞ戻ることの出来ない地点に来てしまったということをまざまざと見せつけられたのは、実はハイウエーを建設してからというもの、前のような細い海岸だけが引き潮の際だけ残されているからこそ「あそこに行く前に遺書を書け」とまで言われた両際から打ち寄せる波によって辛うじて残っている風情がすっかりぶち壊しになり、ハイウエー沿いに泥土が打ち寄せられてすっかり様変わりしてしまい、元の風情を人工的に取り戻そうとハイウエーを撤去した後、橋を代わりにかけるために工事がしきりに行われている最中のモンサンミッシェルに到着した後に起きた出来事によってであった。
内部にある礼拝堂の椅子に腰掛けていた時、私は最初ずっと天井の方ばかり気を取られていた。しかし内部に差し込む光の具合が、次第に外部の天候が曇っていくことを示すに従って光の差し込み具合による堂内の陰影が微妙に変化することに対して様々な国籍の観光客の静かなざわめきの方へと注意を以降させていった時、私は一人の男の後姿に目が釘付けになったのだ。それはまさに自分自身見紛うくらいの瓜二つであるあの沢柳にとてもよく似ていた。しかしその男はざわざわ数十人くらいいる白人や黒人やアラブ系の観光客が多かったその時の人垣の前を椅子から立ち上がって、ゆっくり歩き始めた。そこで私は人垣を潜って、その男の後をつけて行った。
男は中庭の見える回廊に向かった。上部にあるその庭が見える回廊に到着すると、少し前に階段を昇って行ったその男の後姿が再び確認出来た。
その時曇った空がごろごろと音を立て、一気に土砂降りになった。中庭に叩きつける雨の音と、そのシャワーの縦に叩きつける様を見とれていたその男は、その雨の雫が自分の方にかかってしまったらしく、それまでは中庭の遠方を見ていたが、ふと回廊の内部の方へと視線を移した。その時だった。私はその男がまさにあの死んだ筈のサハシーであることを悟ったのだ。
私はそそくさと彼の方へと近づいて行くと、彼はこちらを振り返った。そして私の顔を認めると
「やあ、金城さんですね。」
と一言そう私に告げた。私はあまりの展開に自分でも即座の対応としてどのような言葉をかけたらいいか判断つきかねていながらも、口からは意外なほどすらすら言葉がついて出てきた。
「あなた、お亡くなりになった筈じゃなかったんですか?」
すると沢柳は
「いやあ、あなたがどれくらい私なしで仕事をこなしていけるか試したくってね、まあ人が悪いかも知れないけれど、私は死んだことにさせて頂きましたよ。尤も私は二度とあのCEОの職には復帰致しませんから、結局それは死んだということと同じことなんですけれどね。」
私は抜け抜けとそう語るサハシーの態度に一気に怒りが込み上げ
「それにしても、一体なんでそんな手を込んだことをなさったんですか?」
すると悪びれもせず沢柳は
「だって、その方があなただってやりやすかったでしょう?」
と私に告げたので、私は対応に困って
「そう言われたって。」
とだけ言ってそれ以上は口を噤んでしまった。すると静かにサハシーは
「こんなところにいらっしゃるということは、あなたも既に自分の身代わりを立てて、自分が退かれたということですな?」
と私に問い質した。
「そうですよ、当然ですよ。あんな立場にいつまでも平気でいられるほど私はあなたほど図太くないですからね。」
と私が返すと、沢柳は続けた私に問いかけた。
「別に私はもう死んだことになっていたのだから、あなたさえよければずっとあのポストにあなたが居座り続けてもよかったんですけれどね。でも何で私があなたを私の身代わりに決めたからお分かりになられますか?」
私は即座に返答出来なかったが
「そりゃ、風貌が私とあなたはそっくりではないですか?それが理由でしょう?」
するとサハシーこと沢柳は
「そりゃ、似ているという意味ではあなたと私は勿論瓜二つです。しかしそれだけではないですね、そんなにそっくりというだけでは世界にはあなた以外にも三人くらいはいます。どこの国の首脳もそういう影武者を用意しているものですよ。ただ囮という意味だけでならね。でもあなたをただの囮ではなく、本当の私ということで代行どころか、私になって貰ったのはわけがあるんです。」
と私に真摯な態度でそう告げたので、私は
「一体それは何故ですか?」
と聞き返した。するとサハシーは
「それは、あなたが一番重要なことで窮したり、二進も三進も行かなくなった時に、誰かに相談したりするようなタイプではないと私が踏んだからですよ。」
と述べた。私が
「それはどういうことですか?」
と尋ねると、沢柳は
「つまり、ああいう重要なポジションにいる人間というのは、ある面では凄く弱気になっていくようなこともしばしばあるんです。でもあなたは少なくとも、些細なことでは周囲の人間によく相談するタイプだけれど、いざとなったなら、一切誰にも相談しないようなタイプだと私は見抜いたのです。違いますか?」
と私の目を凝視してそう言った。
「まあ、当たっていないということではないですね。」
と私は沢柳の凝視する目にそう返答した。
私たちが話している間に一時叩きつけていた土砂降りは嘘のように引いて、再び昼時の太陽の光が差し戻っていた。暫く私たち二人は押し黙ったまま、中庭に目をやっていたが、我に返るように、私は沢柳に尋ねていた。
「今は結局どちらに落ち着かれているんですか?」
するとサハシーは
「まあ世界中今のあなたのように暫くは旅行していましんですけれどね、今はフランスの片田舎に引っ込んで、毎日釣りをしているところです。」
と言った。私は再びサハシーに聞いた。
「それでこれからもその生活をお続けになられるんですか?」
すると沢柳は
「そう仰るあなたこそこれからどうされるお積もりですか?それにあなたの代わりになった人は放っておいても大丈夫な人なんですか?」
と逆に私に問い質してきた。私はそれに対して
「さあ、それも少し時間を置いてみないと、分かりませんが。でも何とかやってくれるんじゃないかと思うんですけれどね。」
と私は沢柳に頼りなげにそう答えた。
沢柳は
「あなたも私の代わりを勤めて、世の中の仕組みというものを大分ご理解なされたでしょう?」
と私に聞いた。私は即座には返答せず、暫く間を置いてから
「いや、これから少しずつ理解していくことでしょうね。寧ろ辞めた後になったばかりだからこれからね。」
するとサハシーは
「なるほどね、実感が篭ってらっしゃいますね。」
と言って微笑んだ。そして私にパリに行った時に購入したという高級チョコレートを私に差し出してから
「まあ、これでも私の思い出に食べて下さいよ。まあ、もう私たちは再びお会いすることもないでしょうけれどね。」
と言って、沢柳は私に手を振って、先に階段をそそくさと下りて行った。私はどうしても聞いておきたいことがあって、沢柳を呼び止めた。
「ところでどうしてまたもう一度自分で仕事をなさるように私の代わりにポジションにお就きになられるお気持ちがないのですか?」
すると沢柳はくるりと振り返って
「それはあの時最後にあなたが返信してきたあなたの回答を見て、なるほどなって思ったからですよ。」
と言った。私はあのクイズ形式の最後の質問も、それに対してどんなことを返答して返信したかも忘れていた。そこで
「私どんなことを書き込みましたっけ?」
と沢柳に尋ねた。すると彼は
「あなたはあの時こんなことをお書きになられたんですよ。孤独を感じることは孤独という言葉を我々が知っているからだと言うことを書いた後で言葉がないのにその孤独という言葉を作ることをあなたは突拍子もない偶然と表現なさったんですよ。そして∧その突拍子もない偶然に対して私はそれが偶然であると思わないで私の気持ちであると感じるだろう。もしそうであるなら私は言語の創造者であるということになるが、それが偉大であるとも感じないままでいることだろう∨ってね。その突拍子もない偶然っていう奴で人間は言葉を持ったんですよ。それが∧アダムが蛇から貰った林檎∨だったのかも知れませんね。でも孤独という言葉を知っている私はその孤独を打ち勝つことが出来ます。ならばその打ち勝つことをあなたにもして頂きたかったんですよ。一人くらい私の孤独を理解してくれる人がいれば私はこれから先もそれほど寂しくはない。それが唯一私が私の孤独を打ち勝つ方法だったからあなたに依頼したのです。あなたのお辞めになられた後あなたの後釜に納まるくらいなら私は辞めたままでいたいですよ。何故って態々あなたを選んだ私の決断が正しくなかったことになるからです。」
それだけ言うと彼はまたくるりと踵を返すようにしてそのまま私の方を二度と振り返らずに立ち去った。
Saturday, October 24, 2009
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