Sunday, October 18, 2009

<共犯者たちのクロスロード‐偶然の虚構性>⑧

 ビルにだけは帰りの時間だけを告げ、それまではホテルで待機して貰うようにして、それ以外の一切のスケジュールは、予め日本支社での用向き以外は、誰にも知らせずに私は行動した。日本支社でのスケジュールなど小一時間くらいのものである。それ以外は誰も私の行動を監視する者はいない。そして支社での簡単な用を済ますと、ビルに乗せて貰って最後のアメリカでの仕事をするために戻るまで一日空いていたので、その間に山田の携帯に一年ちょっと前に私の車が来るのを沢柳が私を拾った同じ場所で彼を乗せて例の山荘へ赴くことにした。山田がどんなタイプの性格の奴か勿論関心はあった。私が全業務を引き継ぐことになる後釜である。要するに私以上に沢柳らしく振舞ってくれればよいのだ。私が辞めた後、昔の彼にまた戻ったねとさえ周囲に言って貰えればよいのだ。私も私なりにこの一年結構巧くサハシーになりすましてきたし、昔の彼と変わったねとは周囲から囁かれずに済んだ(少なくとも私の知り限りではだが)。だからそのように、あるいはもっと私以上に沢柳に似ていてくれる、似て行動してくれることが望ましいのだ。だからと言って私と巧く引き継ぐことが出来るくらいには私にも似ていてくれることが山田には求められている。
 果たして山田はそんなに不遜な態度の男ではなかった。私が車の中からあの時の沢柳のようにサングラスをして周囲に歩いている人たちに私と彼の顔が似ていることを気づかれないようにして見た彼の顔は、沢柳本人と言ってもいいくらいの出来(?)の顔の男だったし、礼節を弁えた態度で常に私に臨む男だった。私はサハシーが私にしてくれたのと同じことを山荘で、色々な資料を持って彼に話して説明した。特にサリーやビルたちのことを詳しく性格から癖まで説明して、彼らとは巧くやるように言いくるめることを忘れなかった。しかし私に対して沢柳がしたことで唯一違うこととは、山荘に行く時私と彼は既に何度目に会った時だったということである。私はいきなり全ての計画を前提に山田とその日に落ち合い、そのまま計画の詳細を告げるためにそのまま山荘に連れて行ったのである。その違いが私にとってどういうことを後に結果するかはその時には知る由もなかったが、全てを誰にも相談することなく決めることに意味があるようにその時の私には思えたのである。そうなのだ、もし沢柳が生きていれば、相談していただろう。しかし彼は最早この世の人ではない。だから却って私の独断が彼のやり方と違うということが彼に対する礼儀にもなるとその時の私は思っていた。
 山荘に山田を連れて行った四駆の車は沢柳が使っていたもの(それは恐らく彼が私と摩り替る以前から業務外の私的なことに使用していて、その使用をあまり多くの人は知らなかったのに違いない。だからこそ私を連れて山荘に行く時に使用したのだ。だから死ぬまでそれは私用で使用していたことだろう)と似たものを日本で密かに購入していたのだ。
 そしてその車から山田を降ろすと、私は彼を山荘の鍵をポケットから取り出し山荘の中に招き入れるや否や沢柳からかつて自分も今彼にしているのと同じようにここに連れて来られ、説明を受けたことを彼には気づかれないように心の中だけで懐かしんだ。しかし其の時の私の懐かしさに伴ってこぼれた笑みに山田はそこまで最初から自分の信用してくれているということと受け取ったことを私が説明する顔を眺め、喜びを表す笑みを浮かべて私に示した。彼は私にこう言ったものだ。
「沢柳社長、あなたの替え玉を演じられているなんて思いもよりませんでした。でもそんな光栄な役割を私如きが仰せつかうなんて今でも信じられません。」
 しかし私はその言葉を聴いた時今までの生活を捨てるということは、一年とちょっと金城悟としての生活を捨て他人になりすましたわけだが、事実上これからは、この山田にその業務と人間関係の一切を委ねて今度は再び金城の生活に戻り、その一年ちょっとの間に一切金城としての人間関係など築いていなかったし、仮に本当の自分に戻らなかったからといって誰も怪しみはしないだろうと思った。そして辞めた後もこれまでの収入だけでも十分暮らしていけるので、どうやら私は再びあの貧乏な翻訳家人生にまた戻る必要などなさそうだとも思い、もう金城として生きることを止めてどこか暮らしやすいいい外国で生活することをすることを考えていた。そう思うと、今度は再びこれからも他者を偽って生きていくということを引き受けるのだとぞくぞくした気分になるのだった。ひょっとしたら昔の知人とあのフリスコでばったり日本の伊豆倉の経営するギャラリーで知り合った古物商の男飯島と出会った時のように出会うかも知れないし、それだけではない、今度は私が沢柳として生活していた時に知り合った大勢の人の一人くらいと合うかも知れない。するとその時どのように今目の前にしている山田と自分の関係を誤魔化したらよいのか色々と考えあぐねだしていた。つまり私はこれからも最早あの頃と違って、全部を金城として生きることすら最早出来なくっているのであった。しかも沢柳が死去したことを知る者は私以外にもう一人いる、それが私に手紙を送ってよこした謎の男である。私はあの時私の背後にいて顔さえよく確かめられなかった男と奇妙な共犯意識を抱いてきていた。その共犯意識は、山田が今後私が彼にしたように彼独自にまた別の替え玉を用意しても尚、二人の間ではずっとどちらかが死ぬまで続くのである。沢柳が死んだ時私が全てを一人で決めることが出来るようになったのだが、それまではずっと沢柳がどう思うか気になっていたように。
 そして山田が私と同じ選択をするとしてもその時最早彼は私からの指導から一人だちして既に私からの指示なしに全てを決裁していることだろう。引き継ぎとはそのようなことを意味するのである。それは沢柳も一度は味わったのだ。そして山田は果たして私が沢柳になりかわってヴェロニカを愛したように巧くやりおおせるだろうか、そのことだけが気がかりだったが、ヴェロニカのことだけは最後に彼に告げようと、最後まで私は黙っていた。
 山田の履歴を調べて私は彼が独身であることを知っていたが、彼がそういう手管に通じているかどうかまで私は見抜く力はなかったが、もし彼が億劫に思えばヴェロニカに手切れ金だけを渡して私がずうずうしくも沢柳から女まで引き継いだようにする必要が絶対あるわけではない、それは山田が自分の判断で決めることである。
 つまり私はそのように彼を勝手に私の決裁を仰ぐことなくしてゆく可能性として選んだのである。そしてそれはある意味では決して間違いではなかった。私は一通り業務と、ビジネス関係のクライアントから、交渉の状況全てを彼に噛み砕いて説明して、彼が利発にも一を聞いて、十を知るような態度と反応であったことを悟り、予め彼に試用期間である旨を伝えてある一ヶ月の間私が沢柳から受けた一人で何も置かれていない部屋で数時間を過ごすだけの業務をこなして貰い、その後指定した日に私と彼に入れ替わって貰う手筈なのだが、それまでの一ヶ月つまり私にとって丁度一年三ヶ月の私の業務が終了する日まで、私は最後の仕事をしに再びアメリカに帰るのだ。しかし周囲にはその一ヶ月間の私の過ごし方が最後の一ヶ月であると悟られないようにしなくてはならない。私はあくまでいつもの通りの一ヶ月をサンタフェ等で過ごすのだ。私は山田には米国行きのチケットを予めインターネットで用意していたので、それを試用期間終了後に国際便で郵送し渡し、いよいよ、全てを彼とバトンタッチする積もりだった。そのような手筈が整ったので、彼を乗せた場所(あの沢柳が私を乗せた場所である。本来なら瓜二つの風貌の人間同士が四回もそこで乗り降りするのは不審かも知れないが、幸いそこら辺は一々そんなことを注視する人間などいない閑散としたエリアだったのだ。私はサハシーの遣り方を踏襲することで験担ぎをしたのだ)まで四駆に乗せてそこで下ろすと今度は私自身がビジネスから身を引き、金城悟としてでも、沢柳としてでもない無名の日本人として(未だ名乗る名前は考えてすらいなかったが)スカイスレッダーでの収益の一部によってリタイア後の私に当てられた報酬として生活するもう後一ヶ月という身近に迫った将来のことをビルのジェットに乗り込んだ私は想像していた。
 私はこの一年と少しもうこれ以上一生働かなくても通常人としては十分過ぎるくらいの収入を得ていた。それ以前の試用期間に何もしないでいたのに一年間高額の収入を得ていたことも合わせると多忙な翻訳家生活においては想像だにしていなかったが私は最早経済的な心配を地道にする必要などなかったのだ。だから少なくとも目立った行動だけを控えるのなら(沢柳を演じていた頃の私を個人的に知るビジネス外の人たち数人と私がどこかであのフリスコでのギャラリーで会った人とばったり会った時のようにいつ何時出会うとも限らない)十分生活は確保してゆくことが出来たのだ。だから私はいっそ日本を離れ、タヒチにでも住もうと考えていた。しかしその前に一度未だ一度も訪ねたことのないヨーロッパの名所・旧跡を訪ねるということも悪くはないとも考えていた。あの何もないオフィスビルで奇妙な試用期間を経た後、疾風怒濤の如きビジネスの日々を過ごしてきた私自身に対する労いの意味をも込めてヨーロッパの名所・旧跡でバカンスを過ごすのだ。
 調布の飛行場まで乗ってきてビルと約束の時間にビルと落ち合った後、その四駆は、近くの月極め駐車場に予め停めておき、再び今度は沢柳としてではなく、あくまでリタイアした替え玉として戻ってくる一ヶ月後には、私はそれで成田まで飛ばし、その無料駐車場に乗り捨てて、そのままヨーロッパに飛ぶ積もりだった。チケットは日本に戻る前に既にアメリカで手に入れておくのだ。
 彼を降ろして彼が一人で私とは別行動で例の部屋(沢柳に山荘で説明を受けた時、その部屋のあるビルも私は譲り受けていた)で何もしない試用期間を過ごすために一度自宅に戻る姿を認めた時のことを成田に向かうために私はそのまま彼とは別れた後で想起したものだったが、山田の表情は意気揚々としいていたようにその時の私にはそう思えた。そしてその時私は私に業務全部を引き継がせる時、故沢柳もまたそういう心持でいたのだろうかともふと思った。引き継がせ全てを辞して出て行く者の気持ちを私は初めて理解した。

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