しかしロスの空港のロビーでチケット片手に搭乗を待っている時に周囲に見かけた大勢の日本人を見て、そういう私のサハシーとしての意識は吹っ飛んだ。と言うのも私はその日初めて帰国することになったのだが、それまであの教会における沢柳の同級生とかという男と話した以外で、一般民間人としての日本人の顔を見かけることなど殆どなかったからだ。確かに大勢の日本人が沢柳の社でも働いているが、日系人のレオナルド・岸田以外に日本人らしき幹部は居なかったし、プライヴェートな時間でも、私邸近所に日本人は暮らしていなかったし、日系人というのは基本的にアメリカ人だし、ヴェロニカとの逢瀬でも、そういう日本人観光客と隣り合わせるようなことは殆どなかったのだ。要するに沢柳のアメリカでの人脈そのものが、ニューヨーク滞在のビジネスパーソンとかを除いて、殆ど日本人に拘ることがなかったということと、そのコスモポリタンな雰囲気そのものが私自身の性に合っているということと、私自身私、つまり金城悟としての人格が表出することを日頃極力抑えて生活していたので、敢えて大勢の日本人が行きそうな観光地などを私が訪れることを避けていたということも手伝っていた。ヴェガスでも私はあまり日本人の行きそうなところであるスロットマシーンやルーレットなどの近くには立ち寄らなかった。また大企業のトップCEОが迂闊にそういう箇所に立ち寄るべきではないということも十分心得ていたからである。
しかしエディー・レンディーもそうだし、私自身も沢柳の流儀に見習って、飛行機では必ずエコノミークラスを予約するということをしたお陰で、大勢の日本人観光客、あるいはビジネスパーソンたちと顔を接近させることになったのだった。よもやこの間のよう飯島っぽい人が自分に声をかけて気はしないだろうか憂慮したが、そんなことは一応ないままに済んだ。
しかしそれでも機中私の心は、一年前のあの時、沢柳と入れ替わるために、埼玉県の自宅マンションをずっと空けたままにしておくために時々その都度頼み人間を変えて鍵をその都度別のものに設え家政婦に掃除をして貰っていた。家具類などはそのままにしておき、私は金城悟としての人生をあの山荘での特訓の後沢柳と別れて約一年間空白なものとした。その間ずっと沢柳静雄のままで暮らした。あの時点で、私は金城悟としてのアイデンティティーを放棄し、サハシーになりすまして生活してきたのだ。渡米前には仕事の関係で渡米するという名目で、殆どマンション暮らしだったので、近所の顔見知りは多少いたにはいたが、一人身であることも手伝って、一切私の渡米後の住所を知りたいという殊勝な人はいなかったし、気は楽だった。だからもし近所の人間と機内で鉢合わせになったとしたら、その時の言い訳くらいはとっくに考えていた。そんなことよりも私がそういう鉢合わせを避けるためだけに普段エコノミークラスの予約を取るサハシーがその時に限ってファーストクラスを予約するというのはどう考えても社のメンツ、部下や私の世話をしてくれていた人たちの手前おかしいと思ったのだ。何故なら帰国すると言っても私はボディーガードだけは二人携帯して乗り込んだのだ(だからあの時普通だったら、サリーがチケットの手筈を整えてくれるのだが、私が彼女の娘さんのためにコンサートのチケットを購入するために敢えてサリーがチケット購入しましょうと言った時に、私は私用でロスに行く用があるから自分で買うと言っておいたのだった。私はボディーガード二人分のチケットも纏めてあの時に買ったのだ)が、私はあくまでサハシーとして帰国するのだ。だから機内で金城として私に声をかけてくる人がいたとしても、その人間を怪しんでボディーガードが振舞わないように予め二人に(一人は黒人、一人は白人だった)一切ノータッチしてくれるように頼んでおいた。どうせ二人とも人違いと思ってくれるだろうとさえ私は思っていたのだ。
ところで私の給料の振り込み先はそれまでもサハシーが利用してきたカリフォルニアの銀行に振り込まれ、その中で二割程度が日本のどこかに潜伏している筈のサハシー本人(彼はいつも国際電話で自分は今日本にいると言っていたが、彼の知人と日本で鉢合わせした時にどう振舞うか彼は考えていたのだろうか、と私はそのことを時々ちらっと考えたりしたことがあった)の日本の口座に振り込まれ、後は私の自由に使っていいということを予めあの山荘で沢柳が私に告げていた。
そして私にとって最後に残された業務をし、その後の展開を連絡してくる筈である沢柳からの連絡を待つというモードに私の行動も心理も突入していたその日飛行機は成田に到着した。すると予め川上節夫からの国際電話通り(彼とは始終、メールや国際電話の遣り取りだけはしてきていたが、会うのは空港が初めてだった)空港のロビーの彼が指定した分かりやすい場所にいてくれて、沢柳の見せてくれた写真の通りの人物が出迎えてくれた。この男の趣味はワイン、切手収集と世界中の警察官のバッジを集めることだということは沢柳から聞かされていたが、実際趣味のよさに似あういい着こなしのスーツと、物腰が柔らかで紳士的な男だった。彼が
「ようこそ日本に帰国されて、お疲れでしょう。すぐに社の車が用意してありますので、こちらへどうぞ。ああ、お荷物は私がお預かりいたしましょう。」
と言って、彼が用意させたリムジンに私は乗せられて予定通り、西麻布にあるホテルに連れて行ってくれた。私たちはそこのロビーで暫く今後の日程について簡単な確認をとったら、その日はそのまま私たちはホテルで過ごすプライヴェートな時間だった。しかし翌日からはハードスケジュールだった。何と財務大臣、経済財政大臣とも面会する予定が組まれていた。尤もアメリカではテレビで取材されて画面に大写しになることこそなかったが、国務長官とか向こうの偉い政治家や財界人との何回も私は沢柳になりすまして会ってきた。あまり私の顔が大写しになったことは偶然それまでなかったものの、大勢の中の一人としてテレビでも映像が流されたことは何回もあった。そして今のところ私がニセモノであると疑うような世間の素振りは一回も聞き及んでいなかった。あまりにも私の他の人々に対する接し方が自然だったからだろう。事前に私はサハシー本人にそれぞれの人物の癖とかサハシー本人に対する個人的感情とかまで聞き込んできた。それにしても私は裏のアカデミー主演男優賞なるものがあるとすれば、絶対取れる自信があるほどのサハシー振りだったのである。
私は川上が助手席に座る車で所沢の郊外にあるスカイスレッダー日本支社の川上の支店長室にまず連れて行かれ、彼による支社経営に関する報告を彼から簡単に受けてから、ヴィップルームに彼によって招かれた。そこで川上の秘書によりコーヒーをまずご馳走になり、例のアニメーターで映画監督の宮崎駿氏が残そうと運動して残ることとなった雑木林を見に川上の車で乗せて行って貰った。そして日本に沢柳が会議とか打ち合わせの空き時間に過ごすためだけの特別のマンションにその日は連れて行って貰った。そのマンションは七階建ての雑木林に隣接する駐車場つきの赤茶けた煉瓦が外装に使われた建物だったが、中に入ると高級感の漂う基本的には洋式であるが、中に一室十畳くらいの日本間もあるなかなか立派な滞在ルームだった。隣に常に待機している男の秘書相川と調理師友部がいてくれて、食事の支度、外出一切を彼らに連絡さえすれば即食べられ即一緒に出掛ける用意をしてくれていた。これも川上の沢柳日本滞在時の習慣なのだそうである。(これはサリーから聞いていた。「いつもの通りの滞在でいいんですか?」とサリーが私に帰国の際に私に打診してきたからである。)
しかしその日時差ぼけで一日過ごしていた昼間の三時くらいに宅急便の配達員がチャイムを鳴らし、中からそれを玄関先のカメラで確認すると、私は隣の秘書の相川に「出てもいいか?」と確認すると「私が応対しましょう。」と言って相川が直接その配達員から物を受け取った。そして彼が隣室の彼自身の控え室で中身を確認して大丈夫そうであると了解すると、私の部屋に行っていいかとコールしてきて私の承諾を得てから入室した。
相川が私に渡したものは、沢柳の出身高校の同窓会名簿だった。彼は一流私立進学校の出身で一橋へと進学したエリートであるが、その私立高校が時々更新される名簿を贈ってきていたのである。それをぱらぱらめくると沢柳の高校時代のまさに私と瓜二つの顔写真が出てきて、同じページに下塚の写真もあった。しかし後ろに掲載されている現在の社会的地位と住所録のところを見た時、私は絶句した。下塚は三年前に肝臓癌で他界していたのである。するとあの教会で私に接近してきた日本人の男は確かに高校時代の顔写真からすると、実によく風貌の似た男であったが、今となってはあの男は日本の同窓生に成り済ました産業スパイだったのかも知れないと私は直観したのだった。
しかし私はそのことを敢えて相川にも川上にも告げなかった。私自身がニセモノだからというだけではない。恐らく当の沢柳が応対していてさえ気付かないくらいの巧みさで私に近づき送り込まれて私に応対した例の男は風貌が似ていたに違いない。そしてそういうことというのは稀なことではないのだろうと私は直観したからである。
私はその日はそのマンションの一室でJリーグの試合をリアルタイム放送で見て、川上から連絡がなかったので、相川が手配した日本支社の手配の車で相川の指示によって外部から至急呼び出されてマンションの到着した私の付き人となった島村によって西麻布のホテルに夕方直行しヴィップルームに宿泊した。そして翌日決算報告を受け、島村の手配によって財務大臣(その大臣は沢柳がかつて会見した大臣とは違う人物だったので幸いだった。政治家や企業トップというものは刻々とメンバーが代わるので、私は何も全て沢柳の私用の電話番号をプッシュして確認する必要など殆どなかった。旧知の仲の者と会合する時だけ確かめればよかったのだ)と財務省がセッティングした公邸で会見し、今後のズームアップ社との提携プランを大まかに説明を求められ、それに応じて、二十分の会見を終え再び西麻布のホテルに戻り、そこで日本の支社の重役連と簡単な今後の打ち合わせをして、今度は再び所沢の支社ビルの奥にあるプランニングチームの仕事振りを見学し、少々のアドヴァイスを求められ、それに応じて再び西麻布のホテルに戻り、更にその夜そこで過ごし、翌日アメリカに戻る予定だった。しかしその間に一度だけ予定外の行動をしなくてならなかった。
私はこの仕事を沢柳から引き受けた時、彼に成り済ますことに成功し、私の一存で全ての決裁とその後のビジネスが回り出した時、ある瞬間私の正体を知る者とはただ一人沢柳であることを私が思い出し、彼がいつか私の正体を誰かに告白するとか、彼自身が私の好き勝手な行動に業を煮やし、私の正体をマスコミとかに垂れ込むという可能性を私が恐れ、このまま私自身がずっと経営者として留まることを永続させるために、本物の沢柳を私の今の(偽ではあるが実体のある)権力を行使して、誰かを差し向け抹殺することを画策するのではないかという自分自身の豹変を抑えきれなくなるということだけが一抹の不安として潜在していた。しかし意外なことに私はサハシーに成り済ますと、時折、本人とコンタクトを取り続けてきたものの、殆ど一日の内で自分がニセモノであるという意識で過ごす時間はないことの方がずっと多いということにすぐに気づいた。 それは私が業務に追われ、そういう気持ちになる時間的余裕がなかったということも手伝っているのだが、それだけでもなかった。要するに私は私自身が本物の沢柳静雄であるという、いつしか自分自身でさえ信じられないくらいにそう信じて疑わないそういう心理になっていたからである。そしてそれは態々自分を名乗る嘘つき、つまり本物の沢柳が私をニセモノであると告白する本人を私自身が排除する必要性さえ生じさせないようなものとなっていたのだ。そのことだけが私はこの奇妙な依頼を引き受けてから私の心の変化に対して私自身で最も意外なことだった。
しかし私は沢柳が共犯者であるということをまざまざと相互に確認する絶好の機会に恵まれたのだった。それはまさに私と彼が共謀者同士の連帯意識を最初に持っていたし、今も持っているということを改めて実感した出来事だった。
私が西麻布のホテルに戻ると、私宛に私用のパソコンにメールが届いていた。それは私自身つまり金城悟としてのアイデンティティーを失うわけにはいかないので、私が沢柳となり代わった時に、米国での金城悟の行動を捏造するために、私は沢柳の了解の下、米国に留学している経営関係の学部の大学院生数名にビジネス用の翻訳業務をアルバイトを使って、させていたのだ。そして私は彼らとメールでだけで連絡し合い、翻訳されたものも添付送信させてきていた。そして私自身が添削しそれをクライアントに送信あるいは郵送していたのだが、そのクライアントの一人が是非帰国した際に一度お会いしたいとアメリカ滞在中に私にメールしてきていたのだった。そのクライアントは日米を言ったり来たりしている商社のCEОだったのだ。そこで私は私が成り済ましている沢柳の身のままそのクライアントと会うことがスケジュール上不可能なので、即座に今暇を持て余している沢柳本人に代わって会って貰うことを思いつき、私だけが知る彼の電話番号を、日本国内なので日本でだけ使う携帯で彼に連絡した。幸いその時彼は即座に出た。私は用件を早速伝えると、向こうさんが指定してきた都内のホテルに沢柳が私の代わりに行って向こうの持て成しを受けてくれると快諾してくれたのだった。
この一件はある意味で私と沢柳が一蓮托生であるという意識を共有するのに非常に役にたった。しかしそれはもうじき彼が私に指定した一年という契約が終了する間際の出来事だったし、その後の私に降りかかる運命に対して私が全く無頓着でいられた最後の微笑ましい出来事であったという風に今では思える。
その後アメリカに帰ってから私用パソコンにそのクライアントからメールが送られ、大変楽しいひと時をあなたと過ごせたとあったので、私は沢柳が義理堅い男であると知ってほっとした。これでもうじき終了するサハシーであることの責務から解放され、自分自身つまり金城悟に還ることが出来る、と私は思った。
そして日本での業務を終えてアメリカでの業務も恐らく沢柳本人が私から本人に戻って恙無くこなしていくだろう。やっと私になついてきてくれていた沢柳の私邸の飼い犬ともお別れである。それにしてもこの一年あまりを振り返って私はいかにサリーという女性の神経が細やかで私の日常を滞りなくビジネスに熱中出来るように取り計らってくれるかということが実感し得たし、ヴェロニカにしても私とのひと時を潤いある者にしてくれたということに私は感謝した。そして任務終了期が近づくにつれ、私は次第に金城悟であることそのものに懐かしさを感じ出していた。
私はあることに真理を見出していた。それは何か?一言で言えば、それは振りをするという行為が滞りなく遂行されるには、その振りをする実像であると自分を信じること以外にはないということであった。恐らく私の代わりに本来であったなら、私が出席する筈の宴席に出席した沢柳は自分で招いた挿げ代わり劇のもう一方の主役として急遽抜擢されたわけであるが、その時今まで私が味わってきた影武者としての自覚を初めて味わったであろう。私はずっと彼の鍵武者であった。やったことの全ては沢柳静雄の業績になる。しかし彼自身はずっと私の行動を自分の行動として俯瞰してきたわけだ。あと一ヶ月を切り、あと二週間となった時に沢柳から待ち合わせのレストランが指定されてきた。それも私が私用で利用してきたパソコンに送信されてきたメールによってであった。それは例の所沢のレストランとも程近い別の中華料理の店であった。私は再び日本支社に用向きがあって帰国することを周囲の全ての人たち、マイク・ストーンランド、ジム・クラーク、サリー、ビル、トム、ヒーリーに告げて二日だけ日本に行くとかこつけて、そのまま後は沢柳に全てを返上する積もりで私は今度はあの時みたいに本来ならサリーか別の人によってジェットのチケットを買って貰う筈のところをサリーの娘さんのためのコンサートチケットを購入するため私用でトムに載せて行って貰ったようなやり方ではなく、ビジネスのためのいつものやり方でサリーの手配(帰国手続き)でロスから日航のジェットで再び帰国して、翌日の十二時半に私は所沢の沢柳がメールで指定してきた中華料理店に赴いた。
しかし彼は二時間半待っても来なかった。私は念のためあと二時間待つことにしたが、彼は来なかった。
私はその時どうしようかと思いあぐねた。そして彼に何かあったかも知れないという可能性を考えて、もし彼に何かあった時、一度は彼の替え玉を演じ続けた者の使命として彼を演じたそのままの姿でアメリカへと帰還す必要があるのではないか、と判断して私はその日の夕刻そのまま成田へと向かい、そのままロスへと飛んだ。
私は正直このまま約束の一年を経過したままサハシーを演じ続けることそれ自体に一抹の不安を感じていたということと、ニセモノとしてそのままサハシーに成り変ること自体に罪の意識を感じ続けていた。しかし彼自身が私との約束を反故にした、止むに止まれぬ理由がある違いない。もし何かあったとしても、彼にそれなりの事情があるのなら、必ず後日私宛に何か連絡があるものと私は心得ていた。それが一度は信用出来ると思った男から依頼された者の務めであると思ったのだった。
案の定沢柳から私宛に今度はきちんとした手紙が私が留まり続けたサンタフェのCEОルームに届いた。その手紙には自筆による日本語で次のような文面で私にメッセージが伝えられていた。
「この手紙があなたに届く頃には私はこの世にはいないことでしょう。何故なら私があなたと待ち合わせたレストランに私が来られなかった訳は、今は申し上げることは出来ないのですが、いずれきちんとあなたにお知らせする積もりですが、兎に角あなたの待つレストランにあなたの後ろに座っていた男が、この手紙を今何くわぬ顔でアメリカで仕事なさっている所に発送してくれるように頼んであるからです。つまりその男は私があなたが来てくれるか確認するために訪れあなたが約束通り例の中華料理店にくるのなら、(彼はあなたの来訪を確認してそのまま帰るのだが)私が予め彼に渡してあった手紙があなたの恐らく今座っているサンタフェのオフィスに届くことになっているのです。ですからこれを読むあなたは、既に死んでいる私からのメッセージを見ることになるのです。
私はスカイスレッダーを立ち上げ、一人で頑張り、世界的規模の企業に伸し上がらせましたが、ある日私自身の憩いの時間が全く若い頃からなかったということに気づいたのです。そこで奇妙な本来なら犯罪になるようなことをあなたにお願い致した次第なのです。そして今私はスキンダイヴィングに凝っていて、赤道直下のある国に滞在していますが、未だ慣れていないので、もし私に何かあったのなら、この手紙が届くことになっています。そしてもしからしたらあなた自身が死んだということにされた場合のことなのですが、あなたが私のままでいることに耐えられないというのであれば、私があなたではなく沢柳静雄であるということを証明する書類を入れたコインロッカーの鍵を渡します。その場所と番号は下に書きました。ですからあなたがこのままサンタフェで私の社を経営し続けて下さってもいいし、その送られた書類をどうすることもあなたの自由です。そして社を放り出して元のあなたに帰ることすらあなたの自由なのです。あなたが犯罪の片棒を担いだということによってあならの人生に支障がないように私は最大限の配慮を周囲の人間に依頼しておきましたからご安心下さい」
そしてその下にコインロッカーのある場所とそのナンバーが書かれてあった。そして封筒の底にはコインロッカーの鍵が入っていた。
私は暫く考え込んでいた。しかしある意味ではもうとっくに結論など出ていたのである。つまり私はそのままサハシーに成り済まし、この社を切り盛りしていく決意だったのだ。しかしこの手紙にある通りに本当に沢柳が不慮の死を遂げたとしたら、今後完全にスカイスレッダー自体が私のものになる。最早彼から教授されるということもなくなる。沢柳の生涯とは一体何だったのだろう?そして私自身の彼との出会いとは何だったのだろう?私は流石に暫く何も手につかず、日本でのことをストーンランドに報告してから、少し気分がすぐれないので、帰宅する旨を伝え、サリーにトムに車の支度をするように手配させた。
私はその日、つまりアメリカのサンタフェに戻って来てから二日目であるその日沢柳邸に再び帰り、暫く書斎に閉じ篭って、私、つまり金城悟が水難事故で死去したニュースがないかくまなく調べた。とは言え、彼がどこの国の海で遭難したか皆目見当が就かなかったから、ただ私の名前をネットで検索して調べた。しかしそのようなニュースはどこからも引っ掛からなかった。
考えてみれば、私の居所は沢柳から大体察しがついていたが、私の方からは彼の居所は一度として知ることは出来なかった。ただ彼に指定されたナンバーを国際電話でかけていただけであり、彼自身は日本にいるのか、アメリカに居ることもあったのか、それとも第三国にいることもあったのか、いずれの可能性も考えられるが、全く知ることなど出来なかったし、教えてもくれなかった。また知りたいとも思わなかった。
向こうがこちらの居所を知っているのに、その逆はあり得ないのだから、せめて私はプライヴェートな時間だけでも沢柳の想像も出来ない場所に出掛けてもよかったのだが、私自身そういう欲望そのものがあまり湧かなかったということも手伝って、しかも私はあくまでも沢柳として日常の全てを行動するべきなのだから、そのような欲望そのものを封じ込めてきたという側面もあった。しかしこれからは違う、自分で自分の行動範囲とか、行動パターンを全くこれまでにない形で作り変えてもいいとも言えた。
しかしいざ彼が死んだということとなると、行動パターンを今までとは全然違う形で変えようという気持ちにすらならなかったのは不思議だった。要するに私は生まれた時から、世界そのものがどこか虚構めいて見えてきて、その時もそのことに変わりはなかったので、もともと人生などというものはどこか誰から監視されているようなものなのだから(別に私は信仰心があるわけではないが)もし沢柳がいなくなったとしても、またこれからの私の行動が最早彼からの依頼によるものではない(それまでは自由裁量でよい、と彼から言われても、そうすることが依頼内容だった)としても、依然私の行動や私の居場所の全てはそうそれまでと変わるということはないだろう、とどのつまり人生というものは限りもあることだし、そういきり立って変更しようとしたところで、そう変わりあるものとなるわけではない、という気持ちの方が私の中で強かったのである。
事実例えば私が広大な沢柳の私邸において、私が頻繁に使用するルームというのはほんの一部に限られていた。パソコンの前に一日中向かっていると、時々書斎から出て、ビリヤードルームに出掛けて、そこに置いてある自動販売機からビールを買い、一ヶ月置きくらいにその中に貯まった金でピザとかパスタを注文し、出前で持ってこさせたりしてきた。それに私はアメリカでの食生活そのものに不自由を感じたことなど一度もなかった。もともと日本料理だけはないと困るという方でもなかったし、今はアメリカにも豆腐も納豆も売っているし、仮にそういうものが手に入らなくても、ハンバーグやサンドウィッチだけでも十分私はやっていけた。要するに行く場所とか、行きたい場所が格別あるわけでもなし、広大な邸宅であっても、頻繁に使用するルームも、プライヴェートな時間に出向く先も、近所の教会とか、果樹園とか、植物園とか限られていたのだ。だから最早沢柳が私の行動を時々電話で聞いてくるということがなくなったとしても、私の行動半径も、私の行きたいところも、それどころか私が金城悟に戻ることさえもそれほど熱望してはいない自分というものが私の中に支配していたのだ。だからコインロッカーがあるのは、どうも新宿駅のようだったが、また日本までそれを取りに行くためだけに戻る気力も起きなかったのだ。だから頭痛がすると言って早退したその日に、私はプールサイドを私邸で歩きながら、既に再び金城悟に戻らなくてもそれほどこれから先不自由はないな、と感じていた。だいたい私は独身だったし、私の父母もとうに他界している。私には兄弟もいないし、だから私のことを探す者などこの世には既に一人もいないのである。
だから私にとって他者である沢柳の死は私より僅か早くあの世に行って、他の人々がそちらへと来るのをゆっくり待つという感じだった。そういう風に他者が去ることを意味付けられた。
だから翌日トムに迎えに来させて、オフィスに向かう時も、それまでと変わりない仕方だったし、沢柳からの電話、あるいはこちらから彼への電話というものがなくなったということ以外は全ていつも通りなのだった。だから当然途中で見える車窓や、荒涼とした原野の風景全てがやはり私の周囲にいる全てのビジネスの仲間たち同様、私にバーチャルな映像を提供するように移り変わっていく様は、決して沢柳という唯一私のしている犯罪を知る者が不在となったという事実によって違って見えるということなどなかったばかりか、一層それまで以上にそれまでと何ら変わらないそれらだった。 私にとってその日から始まる業務の全ては沢柳からの依頼ではなくなっていたが、それはそれまでの依頼同様、周囲の仲間たち、社会がスカイスレッダーに求める依頼であるということに関しては何ら変わらなかったし、それまで以上にそれまでと何ら変わらないものだった。そもそも沢柳からの連絡、こちらから彼への連絡の全てが逆にただ取ってつけた行為でしかなかったのである。
Tuesday, October 13, 2009
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