翌日私は昨日のあの突然の佐橋からの電話の着信から数時間後、不可解な氏からの依頼の仕事をする部屋のあるビルを指定したメールを受け取り、それに従い、東京から小一時間くらいで到着する埼玉県のある市の中心街からやや外れたあるあまり目立たない雑居ビルに赴いた。昔小説家になろうかと思って過ごした学生時代アンケート調査員の仕事をしていたことがあった。その頃はまだインターネットなど普及するよりずっと前の時代である。その頃アンケート用紙を配る個人宅を指定した書面を見ながら、知らない土地を随分歩いた経験があったので、比較的初めて指定された場所を見つけるのは苦労せずに済んだ。こういう時若い時にしていたことというのが役に立つことがあるものである。
メールにあった部屋番号を四階の目立たない、しかし表通りに面した角の部屋だった。ドアのノブに手をやると簡単に開き、中に入れた。中に入ると、室内はビルを外から眺めていた時に想像していたのよりも広かった。しかし中はいたって殺風景で、中央よりもやや手前のドアに近いところにデスクが置かれていて、スタンドがそのデスクに据えつけられ、その脇を見ると、そこには冷蔵庫が置かれてあり、その中を覗くと確かに弁当(どこか近所の弁当屋に運ばせたものらしい)が入れてあり、その冷蔵庫の隣には佐橋の言った通り、電子レンジが台の上に載せてあった。要するにこれで暖めて弁当を食べよ、ということであろうと思った。窓は全部ブラインドが降ろされていた。しかしこれを上げてはいけないのである。そして壁を何気なく見ると、確かに監視ヴィデオが据え付けられている。
九時になった。私はそれまで室内をまるで受験生のように落ち着きなく歩き回っていたが、私はデスクの置かれた椅子に座った。その椅子は比較的座り心地がよかった。そうでなくてはこれからずっとただこうして座って時間が来るのを待つだけなのだから困る、そう思っていると、眠気が襲った。最初の二十分くらいはただ座っていて何もしていなくても、色々なことを想像するだけで時間は過ぎて行った。しかし自分の腕時計を見て、一時間くらいたった頃、ふとデスクに腰掛けた後ろ側の壁にかかっている時計を発見し、自分の腕時計と同じ時刻であるかどうか確かめると、やはり同じ十時であったが、その頃から少しずつ眠気が襲ってきたのだ。
人間は何かしていれば眠くなることはない。やがて眠気はどこへやら吹き飛ぶものである。しかし何もしないで一日こうしてこんな退屈な室内に閉じ込められれば、やがて眠くなるのは必定である。しかし眠ってはいけないと佐橋は言った。それはそうだろう。こうしてじっとしていることだけが業務なのだから、それこそただ寝ているだけなのだったら、あまりにも一日百万円という報酬は法外である。それにしてもあと数日立てば、私の口座に五十万円だけ前金として振り込まれる。その前金を確認してから第一日目の出勤だったら、もっとよかったのだが、実際本当に一日百万円も払ってくれるのなら、そんな横着を言っても失礼というものだろう、とあの時にはそう思い、「えっ、五十万円を確かめる前に出勤日ですか?」などとは質問出来なかったことを多少悔やんだ。しかしもしその五十万円が振り込まれないのなら、その時、ことの全てをブログに書き込む積もりでいたので、私は色々湧き上がる疑念を抑えて、その日は兎に角一日何もしない業務を遂行することに決めたのだった。
しかしそれにしても何もしないでいた場合、どれくらい耐えられるかということを最初の一日は試してみようと私は考えていたので、その日は例えば佐橋が言ったように紙を持ってきて何か絵とは文章を書くということをすることすらしないようにしたのは後で考えれば正しかった。と言うのもそれまで兎に角紙に文章を書くことと、それを基にパソコンに入力するためにワードの画面に向かうこと、そして出来上がった翻訳をメールで添付発信することとか、郵送することに明け暮れていた毎日だったので、私は一日でもそういう枷から外れた経験がしてみたかった、から私はあの時佐橋の奇妙な申し出を引き受けたのだった。
そして佐橋の言う通り私が初めてその部屋で何もしない業務を遂行してから、四日後に五十万円の入金があり、私は取り敢えず佐橋の言ったことを信用することが出来た。そしてそれまで一日ただ座って時々タバコを吸ったり、欠伸をしながら背伸びしたり、壁の時計を眺めたり、それほどきちんとしたものではないものなら冷蔵庫に入れておいて何か食べ物を買ってきて後で取り出し、休憩時間外にも食べたり、買って来てデスクに置いてあった煎餅を一つか二つ缶茶やペットボトルの茶を電子レンジで温めて飲んだりして過ごした。
しかし入金があって、それまでは何もしないで一日部屋の中で過ごすことがいい加減うんざりしたこともあって、全然勤務時間外には自宅でテレビを見たり、ネットサーフィンをして楽しんだりする以外しなかったのだが、その五十万円を使って休日には遠くに出掛けることもするようになったし、一泊旅行も二、三回くらいはした。
そして何もしないで過ごすことも一週間くらいで飽きてきたので、私は翌日、つまり八日目以降、スケッチブックとノートを持ち込み、その日に室内で何もしないでいる時に考えたことをメモするようになった。それは椅子に座ってブラインドの下りた室内を見回していた時に感じたこと、考えたことの全てをそう感じたり、考えたりしたことをメモしだし、やがてそれは文章の形になって日記的なものになったり、あるいはその時々の室内にいる自分の姿をイラスト調で描いたりしたものと形を変えていったのだった。
そうこうする内に私の最初の給料振込み日になった。そして月の途中から勤務し始めたので、大体二週間くらい働いたので、私の口座にはたったそれだけの日々だったのに、凡そ一千万円が入ってきた。その金を貰った頃から私はその何もない部屋でただ居眠りしないで、何もしない勤務以外の時間が徐々に重要になっていった。つまりそれだけの大金が今までにないやり方で入る方法を獲得したので、それだけの大金を何かに有効に使うということに非常に大きな意味が出てきたのだ。そこで私は貯金を幾箇所かの金融機関にするために口座を新たに設け、収入の半分を常にそちらに回すことを考え始めて実際に実行した。そして半分は毎日の生活費と、仕事以外の時間を有効に過ごすために利用した。
私は元々チームでする仕事を中心にしてきた人間ではなかったので、一人でただ何もない殺風景な室内で何もしないで過ごすということはそれほど耐えられない仕事でもなかったのだ。ただ最初の頃は何でこんな奇妙で不可解な依頼を佐橋と名乗る男はしたのか、そればかりを考えていた。しかもこれは何か重大な犯罪の一端ではないかとさえ勘ぐった。しかしいざ月々の報酬がその都度振り込まれ、きちんと約束が果たされていることを確認すると、次第にそういった疑念は消滅し、代わりに余暇の時間の過ごし方を有効にしようという気持ちの方が大きくなって、未だに一度も会ったことのない佐橋と名乗る男の正体を突き止めたいという気持ちすら薄れていった。
そして私は半年そういう生活を経験すると、次第に一切の疑念を抱くことすら忘れてしまって、今の生活に満足するようになっていった。
そして久し振りにあの伊豆倉の経営するギャラリーに行った。今の仕事で安定した収入を得ることが出来るようになったのも元はと言えば、伊豆倉のお陰である。そのことを最初は正直に報告しようと思ってギャラリーに足を運んだのだが、ギャラリーに近づくにつれ、私はその気をなくしていた。と言うのもそんな変な仕事を得ることが出来たと、正直に彼に報告したら彼に「そんな仕事怪しいですよ、辞めた方が身のためなんじゃないですか?」などと言われるかも知れなくて、それが嫌だったからである。もうここまで来て、しかも随分そのことのお陰でいい収入を得ることが出来て、その生活に満足している自分にわざわざ自分から水を差す必要などどこにあろう、私はそう思ったからだ。そしてギャラリーに入った時、
「ああ、金城さん、お久し振りですね、どうですか仕事の方は?」
と伊豆倉が私に質問した時、私は咄嗟に
「うん、翻訳の仕事でかなりいい仕事が入って、いい生活させて貰っているよ。」
と私は適当に嘘をついた。そして色々な最近の美術界の世間話をした後、ふと思い出したように伊豆倉が
「ところで大分前に私があなたに勧めたあのブログ見ましたか?」
と聞いてきたので私は
「うん、見るには見たよ。」
と気のない風を装い、そう返事した。すると伊豆倉は再度私に
「それで申し込んでみましたか?」
と聞いたので、私は
「いや、何か怪しいから止めたよ。」
とだけ答えた。すると伊豆倉は
「私は申しこんだんですよ。」
と言った。私はわざと
「それで採用されたの?」
と聞いた。伊豆倉は首を横に振った。
「採用通知は来なかったですね。」
と言った。私は彼がそう言うことを知っていたが、あたかも
「それは残念だったね、でもああいうのって危ないよね。」
とさも触らぬ神に祟りなしのような感じで返したが、実際その神に触っているのは自分なのだ。そして久し振りに絵を、しかもそう安くない奴を買おうかと思って
「例の棟方の板画はあれからどうなったですか?」
と伊豆倉に聞くと彼は
「ああ、あれならまだありますよ。」
と答えた。私は
「最近ちょっと収入があったもんでね、あれでも買っておこうかなと思って。」
と言った。それはそうである。私はその時あの奇妙な仕事を始めてから大体半年たっていたので、一億円以上の収入があったのだ。そして今度の確定申告にはどういう業務で報告すべきかということもそろそろ考えていたところでもあったのだ。だから私は
「確か百四十万円くらいだったよね、あの棟方は?」
と伊豆倉に確認した。
「ええ、そうですよ、でも随分景気がよろしいんですね。」
と伊豆倉は少々びっくりした様子で私にそう言った。以前数枚このギャラリーで絵を購入していたが、せいぜい数万円から二十万円くらいの絵だけだったからだ。このギャラリーは絵画に関しては信用があるだけでなく、庶民が購入するには比較的良心的な値段で経営していると常々私は思ってきた。通常もっと高くふっかけてくる悪質とまでは言えないけれどちゃっかりした画商というものは大勢いる。絵の値段というものは相当なブランド力があっても、普通の日用品などと違って殆どあってないようなものである。例えば本当にその絵を愛している人にとってはその絵に無関心な人では考えられないような値段でもそれを何が何でも欲しいと思う、そしてそういう人たちだけが値段を吊り上げるそういう世界である。
結局伊豆倉のギャラリーで私はそれから数十分世間話をして、その棟方の板画を購入して、伊豆倉に久し振りに絵画を購入したことを感謝され、ビールをご馳走になり、お暇した。
私の生活は一変した。生まれてから世界そのものが虚構めいて見えたその感慨はその頃までもなくなってはいなかったが、その大仕掛けの世界という作り物が、まるで自分のために回っている、そんな感じがしてきたのだ。休日は近場ではあるが、日帰りか一泊二日くらいでサイパン、グアム、チェジュドウ、台湾、シンガポール、香港といった場所に出向いて、カジノで遊んだり、優雅な生活を享受したりするようになっていた。日本国中を旅行した。
そんな頃のことだった。丁度何もしない業務を始めて七ヶ月くらいたった十一月の初旬くらいに私の携帯に着信したメールに意外な内容を私は見た。それは私に今の仕事を依頼して、未だ一度も顔も見たことのない佐橋からのものだった。
<一度あなたとお逢いしたいと思っているのです。明日あたりあなたの職場に行きたいのですが、よろしいでしょうか?>
とあった。よろしいも何も、私の方から逢えるものなら感謝の意を一度伝えなければならないと思っていたところだったのである。考えてみれば、何もしないで一日室内にいて、その退屈さと格闘することが億劫だったのは、最初の給料が入るまでのことだった。つまりもしこれだけ退屈な思いをして何の報酬もなければ、どうしようという不安もあったからだ。しかしまず四日後に例の五十万円の前金が支払われた。その段になって俄然私にとって佐橋の謂いに対する信頼感は高まり、やがて一ヶ月過ぎきちんと最初の約束通り百万円が私の口座に振り込まれた。その時から私はこの仕事はそう容易には辞められないぞ、という気持ちに切り替わり、次第に佐橋なる人物の顔が全く見えないということの不安もどこ吹く風となり、私はそういう奇妙な自分の運命と奇妙な仕事との巡り合わせそれ自体を当たり前の日常として引き受けるようになっていたのだ。慣れとは恐ろしいものである。それがどんなに奇妙奇天烈なものであっても尚、人間は順応出来るのだから。
翌日になった。その日は月曜日だった。昨日久し振りに訪れた伊豆倉のギャラリーで購入した棟方志功の板画を室内のかつての私の翻訳業務室の壁に飾ってそれを見ていた時に、伊豆倉からのメールが入ったのだった。
私の住む城下町から三十分くらい電車に乗って着くその街の中心から少し離れたそのビルに一旦入ると、夕方まで一切昼休みも外出を禁じられているので、私はそのビル周囲ではあまり親しい顔見知りは出来なかった。そもそもあまり人通りに多くない一画にそのビルがあったということも手伝って、私がその街の中心にある駅に降りたこともそれまでは東京に出るためにその駅を素通りするだけのことだったので、殆どなかった。しかし一旦そこに勤務することになると、私がその街で知り合う人と言えば、いつも利用する市の中心に位置する駅のキヨスクのおばさんや駅ホームに設置された蕎麦屋の従業員たちくらいだった。私が通り過ぎると会釈してくれる従業員もいた。そのスタンドの蕎麦屋で私は時々帰宅時に、電車がすぐ来ない時には(と言うのも時々駅前のパチンコで時間をつぶすこともあったからだ)帰宅してから炊事するのが面倒なので、よく利用して立ち食い蕎麦を食べることがあったからだ。
私はビルに入ると、勤務時間が始まる九時になるのを腕時計と壁の時計とを見比べながら待った。それまで一服しようと思ってタバコを吸っていると、ドアのノブをいじる音がしたので、私はそちらの方に振り返った。するとドアを開ける背広姿の紳士が眼に入った。
その瞬間私は凍てついた。と言うのもその紳士がまるで私を鏡で見るように私とそっくりの風貌だったからである。世の中には自分とそっくりな人が三人はいる、いや七人はいるとも言われる。しかしここまで私と瓜二つである人物に出会うと、内心私は心穏やかではなかった。
「佐橋と申します。と言いましても、そう名乗らせて頂きましたけど、本名は沢柳と申す者です。向こうで私が日本語の通り沢柳静雄と早口で名乗るとサハシーと聞こえるそうで、だから私は佐橋と名乗ることも多いんです。」
とそう名乗る佐橋と自己紹介した社長が私に握手を求めてきた。私は右手を差し出す沢柳に対して右手を差し出した。そして握手すると沢柳の暖かい体温が伝わってきた。
「驚かれたでしょう?」
と言う沢柳は自分の容姿が私とそっくりであることを言っているようだった。
「でも、一体私の方こそ色々お世話になっているので、こちらからご挨拶申しあげなければならない、と思っていたのですが、そちらの連絡先が一切分からなかったものですから。」
と私がそう言うと、沢柳は
「いえいえ、そんなことはお気になさらないでいいんですよ、大体こんな変な仕事をあなたに依頼したのは私の方なのですから。」
と言った。
「でもどうしてこんなことを私にさせて、しかも高額な給料をお支払いになられたんですか?」
と私は逸る気持ちを抑えきれず、そう質問していた。
「いあや、でもあなたが予想以上にこういう退屈で気が滅入る業務を半年以上もしてこられたのに、お元気で、溌剌としていられることにはほっと致しました。」
と沢柳は言ったが、私はどうも腑に落ちなくて聞いていた。
「一体、それはどういうことですか?」
すると沢柳は
「私は実はIT関連のつまりウェッブ2.0から3.0の業界トップのCEOなのです。本店はアメリカにあり、今は日本からも大勢社員を抱えています。それでね、私は毎日殆ど分刻みに行動し、仕事のスケジュールがぎっしり詰まっているのです。そこで一度私のような人間がもしいきなりそういうスケジュールの網の目から開放されたら、どういう風になるか試してみたかったのですが、何せ周囲がそれを許してはくれない。そこでどちらかと言うと忙しい仕事をなさっていたあなたのような方をこういう何もしないで一日過ごすような業務に就いて頂いて、その結果どのような精神状態でいることになられるかをどうしても確かめたくて、あなたに無理にこういう業務をして頂いたというわけです。」
私は沢柳の言うことが今一つ掴めないままでいたのだが、ぼんやりとではあるが、彼が多忙な毎日を送っており、そのことから開放されたいと考えてだけはいるようだとは理解出来た。
「こんな単純な業務で高額な報酬を私ごときに社の方は大丈夫なんですか?」
と聞くと、沢柳は
「いいえ、この依頼に関しては私的な試みですので、あなたにお支払いする給料も全部私の私費で賄っていますので、そこら辺は大丈夫です。しかしこれは心理学実験というよりは、私の将来にかかわる重要なことなので、でもご安心下さい、私の一存であなたはこうしてある意味では辛いお仕事をして頂いているわけですから、当然不労所得であるわけは御座いません。ですからきちんと一個の業務として会計処理して、あなたの確定申告にも余計な税負担をかけないように致しますから。」
と言ったので、私は多少安心した。しかしこの男は一体全体何を考えているのだろう、という疑問は残った。そんなことを思い巡らせていると、沢柳は
「では、私は今日これから会議が御座いますので、失礼いたします。業務にお入り下さい。」
と言ってそそくさとドアを開けて外へ出て行った。そうである、私はこの業務を未だ後最低五ヶ月は続けなくてはならないのだ。そして一年の契約が切れた段階で、次の職を探せばよいのだ。尤もこの仕事を見つけるまでのようにあまり焦らなくても、何とか当分は食っていけるのだが。
そしてそれまで私はここ三ヶ月くらい日記を書く量が凄まじい勢いで増えて手記のようなものだけで十数冊分に達していた。主にこの異常体験を綴った手記であった。兎に角ここで座っている八時間の間中一切の外部との交信を持ってはいけないのである。そういう意味では監禁生活とも言えた。だからまさにドストエフスキーの「地下生活者の手記」のような幽閉された生活を享受しているかの錯覚に陥ったのだ。しかも完全遮断ではなく、一定の時間内だけの遮断である。それ以外は通常の生活であるということがより一層異常事態が自分の身に降り掛かっているという錯覚を強くしたのだ。しかしその沢柳の来訪という一件があった時より、今度は自分の意識の流れを綴る手記の内容が、がらりと様相を変え、今度は沢柳という人物に対する疑念とか懐疑といった思念によって埋め尽くされた。私の手記は十数冊目から内容や心理的様相の一切を変えたのだった。
私は沢柳が個人的理由でこんな変梃りんな仕事を誰かに依頼するということの真意が掴みかねた。しかし少なくとも求人応募に写真を必須としていたのも何か自分とそっくりな人間を探すためだったのかとも思ったし、またそれはただの偶然、つまり自分とそっくりな男を探していたのではなく、そっくりな男だったから親しみを覚えて私を採用したのかも知れないとも思った。しかし私に逢いに来た時、私が忙しい職についているから雇ったと言ったことを私は覚えていて、それが一体何を意味するのかも散々考えた。しかしその理由はずっと解明出来ないままでいた。ひょっとしたら沢柳は精神衛生に関する心理学のレポートでも書いて博士号でも取る積もりなのかも知れない。しかしそれにしては手が込んでいる。そういうしっかりとした理由があるのなら、何もわざわざヴォイス・チェンジャーを使ったり、半年以上も一度も自分の姿を見せないでいたりすることもないだろう。その理由がさっぱり分からない。
しかしそうこうする内にまた数ヶ月たち、丁度私が契約した一年の期限が切れる頃になった。そうなれば最早自分が今までのように都合よく、何もしないで大金を手にすることも出来なくなると、当初訝しい思いを抱いて始めたのにもかかわらず、一旦楽をして大金を手にする味をしめた以上その生活が脆くも突き崩されることに対する恐怖に慄くようになっていたのだった。そんなある日今度は沢柳という名義で、十二ヶ月目の最後の給料が振り込まれた翌日に私と逢いたい旨を彼はメールで送信してきたのだ。
その日になるまで私は毎日土日、祝日以外はただ只管昼食の時間だけを楽しみに、いつものように室内の壁やブラインド、冷蔵庫や電子レンジを眺め、思いついたことを十五冊目となったノートに書き綴り、その時の仕事を辞めた後の自分の未来に対して夢想していた。しかしそのメールを眼にした瞬間私はとうとうこれで今までしてきた退屈ではあったけれど、毎月初め五日の給料の振り込みが楽しみだった生活から別れを告げなければならないということに未練が出てきたのだった。いざそうなると今度はどんな仕事を探そうが、翻訳業務を再び始めるかとも思ったが、一旦こういう奇妙な仕事に慣れると以前ちまちま翻訳をしてかなり大きな仕事でも十数万円から数十万円くらいしか稼げないような毎日に舞い戻ることに恐怖すら覚えるようになっていた。その時それまで沢柳が自分に対して変梃りんな仕事を依頼してきて、それに応じて結構いい報酬で満足していた自分が少し惨めに思えてきた。これが逆の立場だったらどんなに優越感を感じて生活出来ることだろう、とまで思った。
沢柳のメールの内容は、その日から丁度一週間後である十一月六日に五日で給料が払いこまれ、その前日が最終日と最初に業務を行う部屋があるビルを指定していたメールに指示して決められていたので、最終業務日の二日後にそのビルから一キロくらい離れた場所にあるイタリアンレストランで待ち合わせるというものだった。丁度昼時の三時半に沢柳は時間も指定してきたので、断る理由もないし、また大金で自分を雇ってくれた恩人でもあるので、それに従う意向のメールを返信したのだった。いざ今までしてきた不可思議な仕事でも、もうこれで終わりだと思うと、この仕事を見つけるまで翻訳業務を一生続けるべきか悩んだり、友人の伊豆倉に相談したりした頃や、ひょんなことから自分以外誰にも知らせていない業務で結構翻訳を必死でこなしていた頃よりもずっとリッチになっている今の自分にとって、ビルの一室で一日何もしないで業務終了時まで過ごすだけの一年の間に色々考えたことそのものを思い出し、それまでの締め切りに追われた毎日とはがらりと変わった一年だったけれど、それら人生のある一時期のプロセス全てが懐かしく思われた。恐らく今後一生の間で私に残された時間の中で沢柳が私に依頼したほど変わっていて、しかも高額な報酬を得ることが出来る仕事はもう二度と巡り合うことはないだろう、と私は思って、最終日である勤務日をいつものように過ごすと、自宅に帰る前に、この一年過ごした街にある一度でも帰宅前によった店全てを一軒一軒訪ね、何か一品頼んで食べたり、飲んだりしてこの街との別れを惜しんだ。沢柳が指定してきたレストランに明後日来ることになっているが、その店はビルのある一画から一キロくらいあるので、一度も訪れたことなどなかった。
Sunday, October 4, 2009
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