Thursday, November 26, 2009

<共犯者たちのクロスロード・偶然の虚構性>㉒


 
 しかし私が一切を捨てて、つまり金城悟としてのこれまでの一切を捨てて元スカイスレッダーのCEОを十余年勤続してリタイアした名誉ある称号を手にすることが最も合理的な判断であることを私にまざまざと自覚させてくれる一通のメールが私に届いたのである。しかもそれは飯島さえ殺せば、恐らく例の俳句仲間たちにも先にも述べたようにあまりにも重大な社会的地位であったが故にこれまで郷田守として振舞って皆と接してきたという言い訳を自然なものにするに足る内容だったのだ。
 そのメールの文面は次のようなものだった。

 前略 沢柳静雄様
 
 私は沢柳静雄です。このメールは遺書でもあるのですが、この遺書を開くこと自体があなたにしか出来ないように私は計らったのです。
 しかしこの手紙が届く頃には私はこの世にはいません。しかも恐らく島津もこの世にはいないでしょう。何故なら私が死んだ場合独身であった私の遺産は全て島津に行くように私はしていたからです。
 私が莫大な財産を築き上げあなたがCEОとして私の後を引き継いだ時点であの山梨の山荘であなたに話した通り、私はそれまでの十余年勤続してきたことの報酬としての財産を別口座に移しました。そして私が死んで、しかも島津が死んだ時このメールは自動的にあなたの下へ送られることになっているのです。つまり島津のたった一人の私以外の話し相手であった彼のフランスにある邸宅の執事がこのメールを添付送信してくれるでしょう。つまり彼島津は一週間自分の邸宅に帰宅しない場合のみこのメールを送信するように執事に言いつけてあったのです。
 しかし私はあなたにこのメールを読んだら、即座に消去して欲しいと思います。何故ならこのメールを盗み見る者がいるかも知れないからです。このメールを読んだ者のみが沢柳静雄です。
 しかし私は最初に私を引き継いでくれた人を信頼したいと思います。ですから逆にこのメールを見た人が三人目の沢柳静雄であるなら、最初に私を引き継いだ人はあなたによって殺されているのでしょう。しかしそれはそれで仕方ないでしょう。私は最初に私を引き継いでくれた人が一番好きですが、それより後に引き継いだ人がこのメールを見るのであれば、その人は最初に引き継いだ人よりも頭がいいということになります。私はこのメールが誰であれ一番頭のいい私の引き継ぎ者にのみ読んで頂きたいからです。そうすることによって私の命は少なくともあなたが生きている間は命脈を保ち、私が私を離れて長い寿命を維持する業績になります。あなたの業績は私の業績であり、私の業績はあなたの業績ですし、またあなたの失敗は私の失敗であり、私の失敗はあなたの失敗です。もしあなたがあなたの失敗のない業績をあなたの死後も永続させていきたいのなら、あなたも私が取ったのと同じ方法を用いることです。
 私にとって最大の友は島津でした。しかし島津は私と背格好は似てはいるものの、顔が似ていません。このメールを見ているあなたは恐らく似ているでしょう。似ていなければ似ている人に送られる筈だったこのメールが最初の人かその次の人であれ、私に似たある人よりも更に頭のいい人なのでしょう。
 私の、そして私が死んだ時点で島津の財産となった莫大な遺産の全てはこのメールがあなたに送信された時点であなたの口座に振り込まれるようにしてあるのです。ですからこのメールを読んだら即座にこのメールを消去して頂ければ幸いなのです。

草々 沢柳静雄

 このメールを読んで、そこにはただの一言も私の本名も書いていないということはある意味で私が犯罪に加担したということを隠蔽する意味での思い遣りではあるものの、そうではないとも受け取れた。もし私自身がダミーであるということを懐疑的に嗅ぎ取ったストーンランドかクラーク(彼らとヒーリーがスペアキーを持っている)が私になりすましてこのメールを開いた場合、彼が理性的に「いけないことにした。見なかったことにしよう。」と思って、一切私の財産に手をつけないでいる場合のみ彼らは私をどうやって告発しようかと思案することだろう。何故なら彼らがこのメールを盗み見る段階で既に彼らは私を懐疑的な目で見ているからである。
 しかし人のパソコンが受信したメールを盗み見ることはそれ自体犯罪である。従って替え玉CEО自体が犯罪であると知っていても、盗み見という犯罪をしたことで彼は長年のキャリアを棒に振ることを選択することはないだろう。もしそれでも私を告発しようとすることはあっても、自分の私腹を肥やすことなどないだろう。それは恐らく中間的な意味で理性的な人間である場合である。もっと極悪で非理性的な人間であるなら、その者は私を消そうとするかも知れない。しかしそれほどまでに非理性的な人間がこれほどの会社におけるCEОの書斎に入ることが可能な状態へと自らを誘導出来るだろうか?
 勿論最初に盗み見をした時点で彼は完璧な理性者ではない。だから彼らがまさに真に理性的であるなら、一切このパソコンを盗み見ることはしないし、仮にその時だけ魔が差してこのメールを盗み見た場合(真に理性的な人間に次いで理性的である場合)でも、文面から私が沢柳から信頼されていたということを知り、その友情に水を差すということを、少なくとも沢柳自身に対する敬意がある限りする筈はない(尤もそれは後で述べるが、この文面がジョークではないと確信し得る限りではある)。しかし同時にこのメールを盗み見た者が私以外の先に挙げたクラークかストーンランドだったにしても、他の何者であったとしても、その時この文面から私自身が最初の沢柳からの引き継ぎ者であるとその者は如何にして確信し得ようか?私が三人目の沢柳ではないという確証が、あるいはもっと四人目の沢柳ではないという確証があると言えるだろうか?
 要するにそれは沢柳に対するこのメールを盗み見る者の忠誠心と、信頼心と、私に対する信頼に依存する。つまり私が本当の沢柳であるか、あるいはこのメールの文面の意味するところが、自分が自分に当てて書いたメールではないという通り一遍の解釈ではなく、まさに自分が自分に当ててジョークでこのメールを送信し、受信したと受け取る(そのケースは大いにあり得る)場合のみその者の私に対する信頼心は私が本当の沢柳であるという確信へと直結するが、逆にこのメールの文面がジョークではなく真理命題的に真であるとその盗み見者が信じた場合、私が最初の沢柳からの引き継ぎ者であると確信する場合のみ私自身に対する信頼心と忠誠心は私が本当の沢柳であると確信する場合(つまりこのメールをジョークであると受け取る場合)に次いで大きいと言える。つまりその者は私に対して私が本当の沢柳であるということに次いで信頼度の大きい最初の引き継ぎ者であるという確信へと直結する。しかしこのメールを受信しているこの私が実は最初の引き継ぎ者ではない可能性への考慮をこのメールの盗み見者が抱いた場合、その盗み見者は私を告発しようとするかも知れない。そしてその者の抱く私への信頼心と忠誠心は希薄であると言えよう。またこのメールが自分で自分に当てて本当の沢柳へと送信して受信したと受け取った場合、その者は恐らくこれから私が実行しようとしているように、私の口座を確認することなどないだろう。
 しかしもし仮にこの文面を読む者が、私が本当は最初の沢柳からの引き継ぎ者か、それ以降の三番目以降の引き継ぎ者であると確信した場合(その場合私自身に対する忠誠心と依頼心は著しく低いということになる)、私の口座を確認しようという欲望を抱くことになり、それを何とか抑制するか否かはその者の理性の度合い拠る。
 しかしその盗み見者が、ダミーがダミーに、つまり自分が自分に対して送信して受信したジョークであると受け取る場合、私の口座を確認することなどないに違いない。しかし私を告発する気にはなるかも知れない。そのケースもないとは言えない。
 しかしである。クラークかストーンランドが盗み見という魔が差したとしても、彼らは既に私ほどではないににせよ、莫大な財産を築き上げている。そんな私の口座を確認するなどという暴挙に出るだろうか?蓋然性は低い。しかし一旦魔が差した人間というのは、留まることを知らないで暴走するという場合も皆無ではないだろう。私はこのように次々と沢柳の真意に対する憶測と、あり得る可能性を考え尽くしたのだった。
 何故そうしたかと言うと、そう考える内だけはあの忌まわしい飯島の処理のことについて思い巡らす必要がなかったからである。
 私があれこれそのように考えていたことの理由には、ストーンランドとクラークが自分にとってどれほど信頼のおける人間かという問いがあったからである。そもそも私が亡き沢柳からあのようなメールを貰ったということは、今現在このサンタフェの邸宅の書斎にいるからである。それはとりもなおさずマイク・ストーンランドが私を引き戻してくれたからである。それは私に対する信頼心が強いということの証である。しかし同時に私がいつまでもCEО職に留まっているということがただ単に気に入らず、私を本心では早くリタイアさせたいと願っていたからこそ、私から好印象を得たいがためにあの時私に携帯で連絡してきただけなのかも知れない。そう考えると、山田よりも私の方がより自分に対して寛容ではないのかと推測する辺り意外と策士だったのかも知れない、と私は思い始めもした。あるいは私に対しては普段無愛想な方であるジム・クラークだが、私からの引き継ぎに対する執心もなくあっさりと自分の財産で別の会社を立ち上げるという意味では、ずっと下心はなかったのかも知れない。しかしメールが届くのが絶好のタイミングだった。
 しかしそうこうする内に私とストーランドと、クラークに対するそれぞれの門出を祝うセレモニーが近づいてき、その日になった。
 サンタフェで一番大きな教会を借り切ってセレモニーが行なわれた。
 私は数日前、亡き沢柳から振り込まれた私の口座(ケーマンとスイスの)を密かにレオナルド・岸田に命令して調べさせたら、私は大金過ぎて資産査定をして貰わないことには一切どれくらいのお金が入金されたかさえ分からなかった。岸田によるとどうもアラブの石油王沢柳静雄からの贈答という形で振り込まれていたと言うから、あのメールは嘘ではなかったことになる。どちらにしても、あのメールは私にとっては嘘ではなかったのだ。しかし岸田はそれを私のジョークと受け取っていた。
 そしてそのセレモニーは危うく一命をとりとめたジムの弟のダニエル・クラークも出席したし、各界の実力者、文化人、芸能人、アーティストらが招待された。勿論エディー・レンディーも来た。
 私はエディーと立食パーティー形式の前夜祭(セレモニーは一昼夜行なわれた)でレンディーと顔が会った時、この前開かれて、島津が亡くなる不運に見舞われたアフリカ某国の教会設立落成記念のセレモニーに参加出来なかった非礼を詫びた。エディーは
「まあ、お互い忙しい身ですから、仕方ないでしょう。」
と言ってから私に
「ところでこれからはどうなさるお積もりですか?」
と尋ねてきた。私は
「今日の夕方隣の会館で行なわれる記者会見で発表致します。」
 と返答した。その後でレンディーは飛行機事故のことを沈痛な面持ちで遺憾の意を表明した。自分にも幾分責任があるかのような口調で
「折角の記念式典でああいう悲劇が起きてしまって、何ともやりきれない思いを私は禁じ得ません。」
 と言った。結局あの日、殆ど陽気な記念式典ではなく、半分亡くなった方々に対する鎮魂のセレモニーとなってしまったのだった。しかしその記念式典以降、あの国では確かに食料需給もレンディーの力添えで徐々に達成されていって、そのことは大きく連日取材されていた。
 私は早くから記者会見で何を言うか既に決めていた。
 つまり私は沢柳の私に対する信頼心が本物であることが了解出来たことにより、記者会見では沢柳が生きていればこう言うだろうということに忠実に沢柳になりきって、あるいは沢柳の魂に代弁して喋ろうと思っていたのだ。私は沢柳の代弁者であるという意識が私の中にある不浄な犯罪的心理を一時和らげた。
 あんなメールを送信してきて、しかもそれと同時に莫大な財産を私に振り込んだサハシーはある意味ではあのメールを誰かに読み取られてもそれがジョークであると思わせる仕掛けを思いつくほど頭がよかったと同時に私に対する信頼が厚かったということである。私は一時でも沢柳に対して疑念を抱いていたことを恥じた。
 そして山田に飯島の処遇をどうさせるかという思案が私の心の中で中断された時私は記者会見場にいた。多くのテレビネットワークのマイクが目の前に林立する記者会見場でのデスクに腰掛けて、私は司会を務めることになったサリーの挨拶の言葉を待った。
暫く待っているとサリー・フィッシャーが演壇に立ち
「これから我が社の社長で、ミスター・シズオ・サワヤナギ、サハシーとして親しまれた氏が今回勇退が決定して、今後の抱負と、今までに行なってこられた事業に関する見解をお聞かせ願えることとあいなりました。」
 と賑々しく挨拶をしたので、私は最初にスピーチを行った。
「私がこの社の前進であるスカイカヴァー社を創業したのが今から十八年前で、その社を現在の業務内容である、ポータルサイトビジネスと検索ソフト開発、そしてウェブデザインコンサルタントビジネスに転換して以来十六年間私はこの社に貢献して参りました。しかしこの業界では私のような五十代男性というのは老人に近く、かのミューズソケット社のエディー・レンディー会長もまた、今氏は私どものセレモニーにご出席されていますが、現在は慈善事業家としてご活躍なさっています。私はこういう風に世代交代が激しいということ自体を憂慮する気もなければ、今後私どものCEОに就任されるマイケル・ストーンランド氏に何か提言のようなことも一切致しません。そもそもこういう風に一人の経営者が去って、別の人が経営を担当するということ自体はいいことなのです。」
 私は暫く社を立ち上げてからあった色々なことを、前日にネットや書斎に置かれてある資料を手掛かりに内容を考えていた通りに話した。そして当然私自身が担当したズームアップ社やシューズデザイナー社との提携や、K社との提携に関しても、さりげなく(あまりそればかりを強調することなく)述べた。そして続いて
「しかし私は勇退後、レンディー氏のように慈善事業をしていく積もりはありません。私は物資提供とか教会設立も素晴らしいことだと思いますが、私に向いた日本の俳句を作って参りたいと存じます。」
 と自分自身の願望をそのまま告げた。つまりこれからは私が沢柳静雄を演じるのではなく生きるのである。
 そして記者たちが色々な質問をしたが、幸いあまり私が引き継ぐ以前の質問はあまり出なかった。出てもあまり詳細に聞き出すようなものではなかった。勿論そういうことがあったとしても動じないように常に私はこのビジネスに関しては準備万端で臨んでいたのだ。
 この記者会見が仮に日本で放映されたとしても私は俳句仲間たちには既に述べたように郷田守の方が偽名であったと告げることにしていた。伊豆倉がその映像を見たって、それがどうしたというのだ。事実私が沢柳と瓜二つであり、更に山田もそうであるという偶然が世の中にはあるではないか。
 しかし飯島だけは私をフリスコで目撃しているのだ。
 しかし私はその日は私に花を持たせるために私の後にマイクがスピーチすることは計画の中になく(後日設定されていた)、飯島に関する苦悩を忘れて、パーティー会場に記者会見を終えてから戻り楽しむことにした。それが沢柳に対する私からの供養だと思ったからだ。そこには内外の政財界の大物、大リーグの選手やCFに起用された日本の各界のスポーツ選手、あるいはアメリカの上院、下院議員たち、あるいは日本の政治家も大勢招待され出席しいていた。
 夜中の二時頃までパーティーは続き、その後自然に散会となった。私は邸宅に待機していてくれたトムの運転で戻り、少し酔ってふらふらする目を擦りながら、個人用のパソコンを開いてメールチェックをした。すると吹上からメールが届いていた。内容は、彼が発起人として須賀、桑原、島田を除いて今度近田と私と三人で一回京都を吟行してから独自の句会をしていかないかという誘いであった。
 私はいずれにしても日本に帰国する積もりだった(山田にも替え玉郷田守の今後のこともあるので会わなくてはならない)ので、快諾する旨を返信した。
 私は急に京都で共に歩いた彼らが懐かしくなった。ほどなく又会えるだろうと思った。
 私はその一ヶ月後、つまり再び秋も暮となった十一月初旬、つまり最初に須賀から来たメールでの誘いに応じてから一年が経っていたが、その頃まで残務整理と、邸宅に置かれてある資産の整理に費やされた。例の私が精魂を込めて作っていた盆栽は、私の指示によって山田時代にも引き継がれて作り変えられていたが、私の代に戻って再び修正したものであり、それを庭師のロジャースに別れの記念に差し上げた。
 そして翌日に帰国という段になって、トムとビルとサリーとヒーリーだけで一度送別会を植物園の一角にあるコーナーを借りて、植物園の園長や、私がよく行った教会の牧師たちを招待して行なうことになった。あの時は山田に引き継がせたので一切別れを告げないで海外旅行に行き、その後シンガポールに移り住んだが、本当に今度は日本に帰国することになったのだ。しかも沢柳静雄としてである。
 結局再び山田からバトンタッチして四ヶ月と少しサンタフェの邸宅と本社で過ごしたことになり、私にとっては一年三ヶ月とそれを足すと約一年七ヶ月のアメリカ滞在だったことになる。
 最後の送別会では普段私は書斎に閉じ篭ることが多く、それ以外の時間はオフの時は植物園か教会に出掛けていたので、顔は見かけたことがあったのだが、殆ど交流がなく時折地元の自治会等の書類にサインすることを求められて話す程度だった執事であるアイルランド系のライオネル・モリソンと一番長く談話し、彼が日本贔屓であることを知り、何ならここを辞めた後の仕事の世話をしてあげようと言ったら、是非日本に、しかも京都へ行きたいと言い出した。そこで私は彼を連れて帰国することにした。当分の生活の面倒くらいなら見られるし、何なら秘書として雇ってずっと日本に置いておいてもいいとさえ思った。サンタフェの邸宅は不動産が売り出し、スコット・ヒーリーが副社長に就任するに伴って彼が買い取り住むことになった。マイクはサクラメントに妻子と大邸宅を持っていて、いつも私用ジェットで個人のパイロットを雇いサンタフェまで来ていた。サンタフェ近くのホテルを利用して徹夜続きの時などは帰宅していなかったために、今まで以上に忙しくなるのでサンタフェの郊外に私邸をもう一つ購入することにした。やはりサンタフェ郊外にアパートを借りていたジムはニューヨークに移り住み、市内に会社を立ち上げることになった。岸田もトムもビルもサリーもそのままマイクお抱えとなった。マイクたち新経営陣の記者会見は私の帰国後行なわれた。
 私は送別会の翌日にロスまで最後にトムに送って貰ってトムに別れを告げそこから飛行機に乗って日本に帰国した。私は暫く新宿や池袋のホテルを泊まり歩き、連れてきたモリソンに不動産に行って貰って(彼は日本語が堪能だった)、一ヶ月以内に部屋を売り出し中のマンションを購入して貰い、しかし金城悟としての私の身元を知る人の殆どいない静岡市に居を構えることにした。

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