Sunday, November 15, 2009

<共犯者たちのクロスロード‐偶然の虚構性>⑲

 それから私はすぐさまシンガポールのマンションに引き返すために成田に直行した。島田に誘いがなければ来ることのなかった東京への臨時の旅だった。しかし私は徐々にそのようにまた替え玉CEО時代のビジーネスに郷愁を覚えるように、その頃の身体のリズムに縒り戻そうとする気持ちにもなっていたのだ。それを促進してくれたのが俳句の吟行だったというわけだ。
 そして何日か経ってからメールチェックをすると飯島によるメールが送信されてきていた。その文面には何とエディー・レンディーが主催するアフリカ某国奥地の教会の設立セレモニーにはジム・クラークの弟の有名作曲家であるダニエル・クラークが記念のテーマミュージックを作曲し、現地で調達したオーケストラの指揮もするということで、しかも兄のジムも出席するということだった。そうなると益々私はそこに取材で行くわけにはいかない。
 しかし私は折角依頼された仕事を無碍に断ることは、今後の俳句趣味の集いとして吟行仲間である島田の手前あまり得策ではないとも思っていたのだ。その日は予め依頼されて着工していた翻訳の仕事が大分捗って、少し小休止してもよいと私は判断して、今後の仕事の対策を練ることにした。
 そしてテレビをつけ、ニュースを見ながら、アメリカの株価が大分上昇したといったことを耳で入れながら、コーヒーを入れてテレビの見えない場所にも置かれてあるソファ(たまにはテレビの見えない場所に向けて座りたい時もあるので私はそうしていた)に腰掛け、MDに録音していたジャズを聴きだした。
 その時私はコーヒーを口にしながらふと島津のことを思い出した。
島津のことを私はもし沢柳からの申し出を「そんなの犯罪だから断る」と言ったならあるいは島津を使って沢柳が私を消していたかも知れないと二度目の京都旅行における二日目の句会の時にぼんやりした表情で考えていたことを思い出した。が、よく考えてみると、島津がそれほどまでに沢柳に傾斜して遥か自分より若い実業家に残りの人生を賭けたのは、私が仮に断っても潔くそれを受け容れるという態度を採って、また私がそんな理不尽な申し出を受けたことを別の誰かに言いふらしたとしても一切私に危害を加える積もりなどないということを察知していたからこそではないかと論理的にそう思い始めた。すると途端に島津という人間にも、沢柳同様の興味を私は覚え始めたのだ。それは男が男に惚れるということかも知れないと思った。しかしにもかかわらず沢柳の方はそれほど島津に対して信頼していたとは限らない。だからこそ島津を自分がリタイアした時継続して私のボディーガードに留まることを薦めなかったとも言える。
 つまりただ単に脇に若くして成功した実業家を尊崇の目つきで控える自分よりも年配の者を置いておきたいからこそ彼がフランスの片田舎にまでついてくる元配下の人間の自分に対する尊敬心を払い除けることをしなかったとも言える。そう考えると沢柳本人は意外と姑息なタイプの人間にも見えてきたし、逆に妙に私は島津を憐憫の情で見始めたと同時に何かを頼みやすいタイプではないかと踏みだしもしたのだった。
 そしてあの時地下鉄の駅で別れしな私にひょいと彼がポケットから取り出して私に渡してくれた名刺を名刺入れから私は取り出し彼に電話を入れてみようと思い立ったのだ。彼はフランスの私に聞いたことのなかった地名の片田舎で、沢柳の最後を知っている唯一の人間である。
 すると電話の向こうで一ヶ月と少し前に会ったばかりの島津の声が明瞭に聞き取れた。彼は
「アロー。」
と言って電話に出た。私が一言
「金城です。」
と言うと島津は
「ああ、あなたでしたか。」
と安心したように日本語で話しだした。
「ちょっと、あなたの声が急に聞きたくなったんですよ。」
と私が言うと
「それは嬉しいですね。でも今仕事中だったんですか?」
と島津が聞いてきたので私は
「ええ、翻訳の仕事が結構常に押していましてね。でもまあ一息ついていたところです。」
と言ってから私はちょっと例の島津の一言、つまり「悪い集団にたまたま属していたなら、かなり善人でもその悪い集団から酷い仕打ちを受けた被害者はその者を悪人だと思い、その者は罪の意識に責め苛まれるんですよ。逆によい集団に属している悪人は、ただ自分が属している集団の善良さによって本来なら告発されるかも知れないようなことをしていたって、周囲の人間の善良さによってその罪を免除されることだってある」というのが気にかかってそのことを問い質した。
「あなたがこの前仰っていたこの言葉の真意をお聞きしたくてね。」
と言うと彼は笑い出しながら
「いえ、そんな深い意味は御座いませんよ。でも実はまあ、もう言ってもいいかな、あなたから山田さんへと新しい替え玉CEОがチェンジしたことを薄々気づいていた人が一人いたんですよ。」
と言い出したのだ。私は急に胸がざわざわし始めて
「えっ、それは誰ですか?」
と島津に問い質すと
「ええ、実はサリー・フィッシャーさんが一度だけ私の下に電話して来られたことがあったんです。私の連絡先は実はトムにだけは教えていたものでして、そのトムから偶然サリーさんがお聞きになられたんだそうです。」
 私は急いて先を早く知りたくて
「それで?」
と聞いた。すると島津は
「何か、あなたと違ってジム・クラークやマイク・ストーンランドに対する接し方が卑屈だって、そう仰ってました。」
「それで?」
と更に私が聞き出そうとすると島津は
「ええ、そう仰るものですから、私は勿論一切白を切り通しましたよ。」
私は核心的なこととして
「その電話があったのは、私と沢柳さんとがモンサンミッシェルでばったり出くわした後のことですか?それとも前の?」
と聞くと
「確か少し前のことでしたね。」
と島津は返答した。その時私は即座に
「ではあなたはサリーさんが仰ることが本当の沢柳さんと私が入れ替わったことをサリーさんがお聞きしたという風に受け取られたんですね?」
と聞くと、島津は強く否定して
「いいえ、違います。あなたから誰か他の人に入れ替わったと思われていたってことで、彼女だけでなくそのことを既にサハシーも気づいていて、そのことを私に密かに告げていました。」
と言った。私は沢柳の眼力の鋭さに打ちのめされながら
「でも一体どうしてそれが分かったんですか?」
と聞くと
「テレビでリヨンとかの会議とかで映る山田さんの出で立ちとか立ち居振る舞いをご覧になって社長は即座に見抜かれていましたよ。」 
と島津は言った。私は
「それじゃ、私があの時モンサンミッシェルで沢柳さんとお会いした時には既にあの人は私が山田と入れ替わりリタイアしていたことをご存知でらっしゃったんですね。」
と島津に言った。島津は
「そのようですね。」
と応えた。私は暫く「うーん」と唸りながら、暫く深呼吸をしてから
「ところで、島津さん、実は一つ困ったことがあるんですよ。」
と言った。兎に角私はまず用件を告げることにしたのだ。それは私の中で先刻、妙に私は島津を憐憫の情で見始めたと同時に何かを頼みやすいタイプではないかと踏みだしもしたという気持ちを行動に移すことを意味した。つまり私は折角依頼された仕事を無碍に断ることは、今後の俳句趣味の集いとして吟行仲間である島田の手前あまり得策ではないとも思っていたから、その飯島から依頼された仕事を島津に代行して貰おうかと不遜にも考えていたのだ。そして私は電話でその旨を伝えたのだ。すると意外にも島津は
「そういうことでしたか。それは困りますよね。取材相手が何度もお会いしたエディー・レンディーさんで出席者の一人があなたが普段行動を共にしているジム・クラークさんですし、またひょっとしたら山田さんも(沢柳社長として)ご招待されるかも知れないですからね。」
と言って、一息ついて
「よござんすよ。お引き受けいたしましょう。要するに教会の設立記念式典の様子と主催者たちに意見を伺って文章に纏めてその飯島さんって方にメールか郵送でお送りすればよろしいのですね。」
と私に確認を取った。私はそれに対し
「一度私に記念のセレモニーで会ったこと、誰かが喋ったことをメモして下さってメールで添付発送して下されば、後は私が全て纏め、それを飯島さんにお送り致しますから。」
と言うと
「分かりました。私も丁度フランスの片田舎で退屈していたところですので。」
と言って笑った。
 結局島津は私からの願いをあっさり承諾してくれた。私は島津に私、つまり金城悟としてのパスポートを郵送する旨を最後に電話で伝え、後日郵送した。しかし写真だけは偽造して島津のものが貼られていなければならないので、私はかつて「太陽がいっぱい」という映画があったが、あの映画の主人公のように島津がプロレスラーの頃の写真をネット検索で探し画像操作して老けさせ、それを金城悟のパスポートの私の写真を剥がし、その上に見つけた島津の写真をプリントしてスタンプの形を写真につけ加え貼ったのである。私はそういう細かい作業が若い頃から得意だったのである。私は自分の悪知恵と自分の都合のよさに少々辟易していたが、これで島田とのパイプも傷つくことなく、それでいて私はレンディーやクラークと会うことなく済むと思うと何故か他の翻訳の仕事にも身が入った。
 
 しかしそうしながらも私は更に思いも寄らぬ電話を受け取ることになったのだ。
 私がやっと一つの翻訳を仕上げて、島田からの間接的依頼ではなかったが、やはり私が手掛けた島田→兼杉のための仕事を見て依頼してきたあるスポーツメーカーの重役であるクライアントのための仕事を提出するために郵便局に行った時突如私の携帯に着信音が鳴ったのだ。
 そして電話に出てみるとたまたまその時私が「はい」と言う前に向こうが懐かしい英語の響きで何か言っていた。その声の主は何とマイケル・ストーンランドだったのだ。私は一瞬で相手の声が彼であると分かったのだが、即座に返答せずに黙っていると、更に彼はこう言った。
「サハシーでらっしゃいますね?」

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