Monday, November 30, 2009

<共犯者たちのクロスロード‐偶然の虚構性>㉓最終回

 翌年になって、私は山田を呼び寄せることにして、彼にメールを送信したら、彼は翻訳の仕事は今のところ暇だというので、最初京都に来て貰おうかと考えたのが、京都も飯島が島田と親しい以上いつ何時彼と遭遇するとも限らないので、静岡駅まで来て貰うことにした。まず彼に会って、彼の要望を聞いて、今後の身の振り方を相談に乗ってやらなくてはならない。私が沢柳から引き継いだ時点で私の人生は変わったが、私の場合率先して自分で変えていったという要素が強いが、彼の場合は全て私の指示に従っていた。しかし勿論彼の報酬は一年三ヶ月ほど支払われ、私の口座以外の沢柳の名義で彼だけが引き出せるように手配はしてあった。
 私は殆どの邸宅の資産を売却して帰国したので身軽だった。
 指定した日に静岡駅の私が指定した改札口に彼は東海道線のホームから降りてやってきた。私が改札の外から彼が来るのを確認すると山田は
「お待たせしましたでしょうか?」
と言って少し頭を下げた。しかし
「私も今来たところです。」
と言った。事実だった。私は彼に
「近くの喫茶店に入りましょう。」
と言って近くの喫茶店に入り、一番人があまり座っていない一角に二人で腰掛けた。相変わらず山田はサングラスを外さないでいる。
 私が翻訳の仕事についてどうかと尋ねると山田は
「大分慣れてきましたが、いつまで続けられるんでしょう?」
と私に尋ねたので私は
「このままずっと続けたいですか?」
と逆に聞き返した。すると彼は
「別に構いませんけれど、沢柳さんはこれからどうなさるんですか?もうストーンランド社長が就任されましたよね。」
 と私に質問した。私は
「これからは私が趣味にしてきた俳句を作りながら晩年まで過ごしたいですね。」
と言った。すると山田は
「でもリタイアの年齢がああいう企業は早いですね。」
と言いながら溜め息を洩らした。私はそろそろ本題に入ろうとして
「まあそうですね、ところで私がある仕事でお世話になってきた人がいるんですが、その方に贈り物をして頂きたいんです。翻訳家としての私として。」
と言った。すると山田は
「いいですよ。」
と返答した。私は飯島がどんな酒が好きか東京八重洲口で会う人物が飯島であると知る前に一度島田に別の用件(次回の句会の日程とか最近あったことを報告する内容の)でメールをした時島田から仕事を世話して貰った(島田は郷田守と私のことを思っているので、島津が死去した例の墜落事故の乗客名簿が報道されても私が死んだとは思わない。思うとすれば飯島と伊豆倉だけである)手前、お礼をしたいと言って聞き出していたのだ。島田からの返信によると飯島はウィスキーが好きだと言うのだ。
 しかしその時まで一切私はすっかり勘違いしているということに気づかなかったのである。そうである。読者は既にお気づきだろうが私は飯島にとっては死んでいなければならず、しかも飯島が島田に郷田守は金城悟という本名だと告げたら、島田にとっても郷田守は生きていてはならず、また飯島は島田と親しい以上島田に金城が不慮の事故で死去し、依頼した仕事が頓挫したと告げたに違いない。私はついサハシーの最後を演じ、サハシー本人のリタイア後を演じ続けることにばかり神経が行ってしまいすっかりそのことを忘れていたのである。そうなると島田もまた飯島と共に極めて私の今後にとって危険人物ということになってしまう。
 私がすっかり顔色を悪くしていたので山田が
「社長さん、どうなさいましたか?」
と心配そうに聞いた。私は必死に内心を悟られまいと
「いいえ、何でもありません。つい先日帰国したばかりなので未だちょっと時差ボケが直らないだけですよ。」
と言って誤魔化した。すっかり思案に暮れていってしまうかに見えた私は名案をその時思いついたのだ。それは島田が飯島とどんな会話をしたかによるが、飯島が島田に金城が死んでしまったと告げる公算は一番強い。ならば島田は折角自分が飯島に紹介した仕事が不慮の事故で頓挫したことで迷惑をかけたなら、そのことを詫びるという気持ちになっていておかしくはない。だったら島田が飯島に詫びの積もりで何かを送ってもおかしくはない。
 ただ問題は島田がもし私がサハシーとして記者会見をした模様をニュース映像で見ていたなら、郷田守=サハシーということを知っていよう。そして結局どちらにせよ、俳句仲間たちに対して死んだ郷田守が生きたサハシーと同一人物であることは通用しなくなるのである。またしもしただ単にサハシーと郷田守が瓜二つであるということであるなら、私は俳句仲間たちの前に以前の郷田守ということで現われることは出来なくなるのである。
 しかしあの時八重洲口で待ち合わせ時現われたのは飯島だけである。だから島田は郷田守の筈の男が金城悟であったと飯島が告げてもそれはその男がニセモノなのではないかと疑う可能性に賭けさえすれば、あるいは私が島田の前に出現しても私が「あの時少し後れて行ったら、先方(私は島田から飯島と名前を聞いていなかったので)が既にいなかった」と言い訳をし、しかもそれ以後多忙でそのことを報告することが出来なかったと言って白を切ることも出来よう。しかしその言い訳が通用するか否かは一重に飯島に対する島田の信頼の度合いと、親近度に依存する。島田が飯島と然程親しくはない場合のみニセモノが飯島と会った仕事の依頼を受けたという私の話しを島田が信じる可能性があるというに過ぎない。
 やはりその賭けをすることが危険だと私は思った。再び私は晴れて郷田守がサハシーであったと俳句仲間の前に現われる機会を逸してしまったのである。こうなると最早俳句仲間の前には一切出現することが私は自己を安泰にし続けるにはしないに限ると結論した。
 私はあの記者会見で俳句を作って生きていきたいと述べたので、もし彼らともう一度会いたいと思うならいっそ郷田守と瓜二つの沢柳静雄ですと述べて初めて会う人同士のように振舞って俳句仲間たちの前に出現することしかない。その際には死んだ郷田守は赤ん坊の頃から生き別れていた二卵性双生児であると偽るという方法もあると私は思った。それなら同じDNAを持った人間であり、同じ趣味があってもおかしくはない。しかしそれはまたあの時沢柳になりすまして飯島と出くわした時のように知人を前に替え玉を演じるようなものでありかなりストレスフルである。
 しかしそこまで考えてきて私は急に疲れが出てしまった。そして山田に
「このまま翻訳の仕事をされたいですか?」
 と聞いたら山田は
「ええ。」
と返答した。しかし今後いつかは郷田守が死んだ筈なのに、いつまでも以前島田の伝で得たクライアントたちや口コミで郷田守の翻訳が定評だからと言って続けていたら、いつかは島田にもその噂が広まって死んだ筈の人間がいつまでも翻訳をし続けているという風に理解され、そこに犯罪の匂いを嗅ぎつける人間が出現するであろう。
 そう思って山田に対して作り笑いをしながら今後その件に関して、そして山田の将来に関する処遇をどうすべきか思案し始めていた矢先、私の携帯の受信音が響き、私は山田に 
「失礼。」
と言って電話に出た。すると声の主は聞き覚えのある中年女性であった。
「お久し振りです。お元気ですか?」
という英語の響きが私の耳に入ってきた。私はすぐにサリー・フィッシャーの声だと分かった。私は電話のサリーに
「今、ちょっと来客中なので、後でこちらからお電話差し上げます。」
と言って、電話の向こうのサリーが
「分かりました。」
と言ったのを確認して電話を切った。そして再び山田の方を振り返りながら
「ところで今もずっと翻訳の仕事は詰まっているんですか?」
と聞くと山田は
「実はそれが去年の十一月くらい、だから丁度一ヶ月と少し前からぱたりと仕事が来なくなったんです。」
と言った。丁度島津が死んだ頃である。するとやはり郷田守=金城悟は死んだという風に飯島から島田や他の知人に知らされたということになる。しかし一人くらい郷田守の死去を知らずに依頼してくる人もいるだろうにどうしてだろうかと私は思った。
 しかしそう思った時もう一つ問題が噴出してきた。それは吹上と近田が島田から郷田守の死去を知らされていはしないかということである。しかしその憂慮はすぐに打ち消された。何故ならセレモニーの直後に私は吹上からのメールを受け取ったからである。勿論島田から郷田守の死去を知らされていてどうもこれはおかしいと私に対してどういう出方をするかを吹上が自主的に探りを入れる積もりで私にメールを打ってきた(私の記者会見の姿をニュース映像で見ていればそういう気持ちになることはあり得るだろう)という可能性もゼロではない。しかしよく思い出せば、島田と吹上は最初の京都吟行の際には多少会話があったが、それ以後あまり親しく話してはいなかった。だからそれほど親しくはない吹上に対し態々島田が郷田守の死去の話しをするだろうかと思った。第一あの句会の催し一切が須賀からの誘いであった筈だ。だが須賀にしてもいつかは島田から郷田守の死去の知らせが入るだろう。そうなると当然その知らせは吹上の耳にも入るだろう。そうなるといずれにせよ私は二度と俳句仲間の前に現われることが出来なくなってしまったのである。 
 そこで私は山田に 
「そうですか。それじゃあ、また別の仕事をそちらに廻すようにしますんで、暫くはシンガポールのマンションで待機していて下さい。」
と山田に言って百万円を包んだ包みを渡し
「これを当座の生活資金にして下さい。」
 山田が
「贈り物の件はどうしますか?」
と先ほどの私の飯島にタミフル入りのウィスキーを贈呈する話しを思い出し山田が聞いてきたので、私は
「いえ、その話しはまたにしましょう。」
と誤魔化したら、山田は
「そうですか。分かりました。」
とそれ以上追及しなかった。
 私はシンガポールでの紙幣のシンガポール・ドルとの換金方法を教えてから私は山田と別れた。山田が静岡駅から帰りは新幹線にすると別れしな言っていたが、それに乗るために去っていく後姿を見て、私はこの男は私に他意はないと思った。

 私は駅から歩いて十分くらいのところにある自宅のマンションに帰宅すると、早速サリーに返信をした。先ほど山田と一緒にいた時にかかってきた番号にそのまま連絡した。私の心は飯島を殺害しようかとさえ考えていたのに、山田が自分の影法師であることが、彼を郷田として飯島を殺させるということが事実的に不可能であるばかりか、万一それが山田の協力で実現したとしても、犯人にされる山田が実は自分と瓜二つであることから私に累が及ぶということも意味し結局飯島を殺害することは出来ないという無念が、しかしそれでよかったのだ、少なくとも自分が「正真正銘の」犯罪者にならずに済んだということだと無理矢理自分を納得させようとしているとサリーの済んだ声が聞こえてきた。私が
「先ほどは失礼、お元気ですか?」
と言うと
「ええ、元気です。ご勇退後初めてお声が聞けました。どうですかそちらは?」
と返答してから私に聞いてきたので私が
「それでご用件は何ですか?」 
と無愛想にそう聞いた。と言うのも内心私は自分の身元に関してこれからどのように他者に辻褄を合わせて生活していくべきか悩んでいたので、いくら少し前まで仕事仲間であった彼女から連絡があったからと言って、その親近的なモードに切り替える心の余裕をすっかり失っていたからである。
 サリーは
「それはたいそうご挨拶ですね。でも近くに来ているんでお会いしませんか?」
と言ったのでいきなり目が覚めた感じになって
「近くって、どちらからかけていらっしゃるんですか?」
と聞くと
「親しかった元執事のモリソンさんに私一度連絡したことがあって、静岡市のマンションにお住まいだとお聞きしていたので、静岡駅まで今来ているんです。」
と言った。私は驚愕してしまい
「また態々こんなところまでいらっしゃって、どういうことですか?」
と聞くとサリーは
「どうしてもお話したいことが御座いまして。」
と神妙な声で言った。私は元秘書で今は現社長の秘書でもあるサリー・フィッシャーが態々私を日本の自宅のある静岡駅に追いかけて来てまで話す必要のあることなど一体何だろうと思っていた。私は
「じゃあ、こちらからすぐですから、改札口のところでじっと移動しないで待っていて下さい。」
と言うと彼女は
「分かりました。」
と言って、私たちは電話を切った。私はすぐ自宅を出て駅まで足早に歩いて行った。すると私が指定した場所にサリーが微笑んで立っていた。私が彼女に近づき
「いつアメリカをお発ちになったんですか?」
と言うと
「昨日の夜です。」
と返答した。私が近くにある喫茶店(先ほど山田と入ったところとは別の)に彼女を誘って入ると、私たちは比較的空いているところへ向けて歩いて行き座ると彼女は
「私マイクの秘書を辞めてここに来たんです。」
と言った。私は俄かにはその意味を推し量りかねて
「えっ、辞められたって、一体何故?」
と尋ねた。これは何か尋常ではない。
「私たちは実は母子家庭なんです。娘と私っていうことです。六年前に離婚した夫は一ヶ月に一度私たちと会いその時だけ一緒に食事するだけです。」
と続けてサリーは言った。私が
「そんなプライヴェートなことを仰るためにここへ態々いらしたんですか?」
と怪訝な表情で問い質すと彼女は
「プライヴェートっていう意味では元社長だって同じじゃございませんの?」
と突っ張った態度でそう言った。私は彼女の真意を推し量りかねた。しかしその妙に納得出来ない私に構わずサリーは
「何か人には分からないことっていうのは誰にでもありますけれど、ある人にとってそうであることっていうのも別のある人からすればそうじゃないっていうこともありますわよね。」
 私は益々分からなくなった。しかし不吉な予感もしたのだった。
「あなたはある時からいなくなって、別の誰かを遣して、今度はその人を辞めさせて、また戻られましたよね。」
と彼女が言った時私は私が郵便局で郵送手続きをしている時にマイク・ストーンランドが私の携帯に突如連絡してきたことを思い出した。サリーは確かに私が山田を身代わりにしたてたことを直感的に見抜いていたのだろうとその時私はそう思った。
「あの方はあなたとは少し違うタイプでしたからね。恐らく現社長もジムもヒーリー現副社長も気づいてらっしゃったんじゃないかしら。」
とサリーが言った時それはある程度私が予想してことでもあったから私はそれほど驚愕せずに済んだ。と言うのももし私があのマイクからの連絡を受け取らなかったなら、あるいはそういうことを私が二年前に辞めて山田に交代した直後に言われていたならもっと驚愕していたことだろう。しかし私は山田を辞めさせてそれからもう一度職場に復帰していたから、復帰後の功績を彼女が讃えていてくれると思えばそれがいけないことであると知っていても尚私は「君も気づいていたか」などと笑って済ますことも出来たかも知れない。
 しかし彼女の目論見はそういうことではなかったのだ。そしてそのことが明確に私に理解出来たのは彼女の次の質問によってだった。
「あなたの本名がイサムだって知っているのは意外と少ないんですよ。どうしてだとお思いですか?」
 私はぎょっとした。遂に来たかと思った。と言うのも私はあの山梨県の山荘で殆ど沢柳自身の名前のことについては教えて貰えなかったからである。勿論勇というのが本名であることは彼から聞いて知っていた。しかしでは何故静雄と呼ばれているかということの方の理由を一切聞かされていなかったからである。確かに彼はイサムとは誰からも呼ばれていなかった。それなのにでは何故静雄と呼ばれていたかということについての知識を一切私は持ち合わせていなかったのである。だから私は必死に誤魔化そうとして
「でも、一体君はどうしてまた今更そんなことを言い出すんですか?」
それに対してすかさずサリーは
「今更って、いかにも全てお見通しみたいな仰り方ですね。」
 その一言で私は全てを悟った。この女は私が沢柳の替え玉であるということを知っているのだ。その瞬間まで私にとって最大の脅威は飯島であった。彼以外に私がその時沢柳ではないということを知る者は一人もいなかった。だからこそ私は沢柳然としてこうして静かな晩年を過ごせるとてっきり思っていたのである。
 しかしその一言が全てをご破算にした。
「私が静雄って名づけてあげたのよ。」
 私はその時既に一切の弁解をする余地をなくしただ呆然と彼女の言うことに意識を集めていた。そして彼女は静かに語り出した。
「私と静雄さんは深い仲だったんです。あの人がねサンタフェに事務所を立ち上げた時色々世話をしてくれた恩人は今あなたが付き添わせているライオネル・モリソンの父親のジュリアス・モリソンだったんですよ。そしてそのジュリアスが大事にしている姪がいるんですけれど、その姪がヴェロニカなんです。ヴェロニカはアイルランド系の父親とウェットバックのチカーノとの混血なんです。」
 私は狼狽していて喉がからからになっていたので
「一杯水を飲ませて頂けないかな。」
とグラスに注がれた水を一気に飲み干した。
 それを見ると再びサリーは話し始めた。 
「サハシーはずっとその恩人からの様々な義理的なプレッシャーに打ちひしがれていたんです。そしてイサムという名がどうしても厭になっていたんです。どうしてかって言うとジュリアスが彼の名前の名づけ親だったからです。本当はユキオ、日本語では幸せな男(幸雄)というのが本名だったんですけれど、渡米して会社を立ち上げる時多大なお世話になったジュリアスが自分の息子を何らかの形で採用して貰うことと、つまり彼の一番愛した若くして癌で亡くなった兄の娘を今際の際で兄から託された、つまりヴェロニカをユキオの妻にすることを条件で彼はユキオに融資したんです。その時ジュリアスが愛しているイサム・ノグチの名前を彼に改名させたんです。そしてそのジュリアスからの色々な懇意が段々イサムの重圧になっていったんです。そしてその頃から私は夫の浮気に悩んでいて、結局お互いの悩み事を打ち明ける内に私とイサムは自然と結ばれて、しかも彼がこのイサムって名前が嫌いだということで、私が静かな男だったから日本語の意味を調べて静雄という名前で二人でいる時だけ呼んでいたんです。そしてジュリアスは私とシズオが結ばれた直後くらいに脳梗塞で急死したんです。だからシズオはヴェロニカとはあまり愛し合っていないことを相互に了解し合っていたから、ジュリアスの死後結婚はしなかったんです。しかしやはり恩人の手前、彼はヴェロニカを捨てることも出来ず、私との仲を知っていたのは比較的モリソン家の中ではシズオの気持ちを汲んであげられたライノネルだけだったみたいです。尤もジムはどうか知らないけれど、マイク・ストーンランドは薄々気づいてらっしゃったみたいですけれどね。」
 彼女は全てを告白しながら少し深呼吸をして
「でもあなたはよくやったわね。」
と私の方に笑みを浮かべた。私はその言葉がある種の脅迫のように感じられた。しかし私の心の中にあるそんな動揺に構いもせずにサリーは再び静かに語り出した。
「あなたにもそのことは一切シズオは言わなかったでしょうね。いえ言えなかったんです。だから本当はシズオの理解者ではあれ、モリソンはジュリアスの息子ですからね、シズオは彼と共に同じ邸宅に住み続けることも厭になっていたんですよ。そんな時にシマヅさんをボディーガードとして雇って唯一心を許してきたんです。」
 私は最早言い逃れの出来ない状態でいた。しかし一つだけサリーさえ知らないことがあるのではないかと思った。それが沢柳と島津の死である。そこでそれとなくそのことについて聞き出そうと私は
「ところで私がいつ替え玉だってことに気づいたんですか?」
それに対してサリーは再び笑みを浮かべて
「あなたが私のバースデイにメールを入れてくれた時ですよ。」
と言った。私は思わず「えっ。」と叫びそうなのを必死で堪えていた。するとサリーは
「あなたがくれたメールメッセージが一度は深く愛し合った人同士にしては他人行儀な形式的というか社交辞令的な言葉の羅列だったからですよ。」
 私はプロの翻訳家であるからこそアメリカで何とかやり切れたのだが、寧ろここでそのことが仇となったのである。私は何故ヴェロニカを彼が私に宛がったかの理由もはっきりと悟った。そしてヴェロニカとてサハシーから私、私から山田に交代したことくらいとっくに見抜いていたろうが、それを敢えて問題化することなくうっちゃっていたことの理由もはっきりした。彼にとって疎ましい相手であるヴェロニカに対して、それでも彼の周囲の眼から追放することだけは出来ない孤独が彼を追い込んだ。そしてヴェロニカの正体を私は見抜けなかったが山田は見抜いていた。私以外の若い男性がずっと彼女の恋人だったのだ。私はその時改めて山田のある種の直観力に敬意を抱いた。そして利用価値と考えた自分を恥じた。
 私たちは粗方用件を済ませた男女、と言うよりどこか以前は親しかったのに(実際私はサリーと親しかったし信頼していた)今はすっかりさめてしまった男女のように喫茶店で私がレシートを持って行き代金を支払うと
「暫く一緒に歩きますか?」
と私はサリーにこれまでの友情が変わらずにあることを強調するかのように優しい口調でそう言った。
「ええ。」
と彼女は返答した。二人は店を出て繁華街を歩き出した。
 しかし私は一切肝心なこと、沢柳と島津の行方に関して彼女が認知しているかどうか確かめなかった。しかし一つくらい私は知っているのに彼女だって知らないことがあった方がいいと私は判断して敢えて聞き出さないようにしたままでいた。それに話しの文脈上私の代わりに島津が死んだこと、彼女の愛した男性が最も信頼していた男性を私が死に追い遣ったと思われることは私にとって得策ではない。だから私とサリーとの間にこれから何が起ころうとも、このことだけは一切彼女の前では黙っていようと思った。このことは一切私以外の者が知っていてはいけないのだ。しかし私は男として聞いておかなくてはならないことがあったので聞いてみた。
「私はあなたに一回も手を出さなかったですけど、失礼な質問になるかも知れませんが、サハシー本人はあなたをずっと愛し続けられたんですか?」
 すると彼女は
「いい質問をなさるわね。私たちはジュリアスが亡くなった頃からやはりこういう関係がよくないと彼が言って終っていたんですよ。」
 彼女はしかし次のように続けたのだ。
「でもあなたの演技は完璧だったわよ、と言うよりあなたは誰よりも世界中で一番サハシーに似ていた。あなたの次の人も私は嫌いじゃなかったけれど、サハシーとは似ても似つかなかった。」
と言った。すると
「あなたが完璧だったのはあなたが友人の少ない方だからじゃないかって私は思ったんですけれど、そうじゃ御座いません?」
と突拍子もないことを言った。私は彼女の顔の方を向いて頷いた。彼女は更に続けて
「あなたの後の人はあなたにはきっと似ていらっしゃるんでしょうね。」
と言った。二人は自然と繁華街から離れて、あまり人通りの少ない通りの一角に佇んでいた。私はその時この女がまるでサハシーが死んでいることを前提にしているような話し振りに気がついていた。
そうだ、この女は沢柳が私に送信したあのメールを読んでいたのかも知れない。沢柳が生前彼女にスペアキーを渡していたらそれも可能だ。あるいはサハシーはずっと彼女を愛していて、彼が死んだ時に彼女にそれを知らせるメールが届くように取り計らっていたのかも知れない。しかし今目の前にいる女は知らないようにも見える。
もし沢柳の死を知らないままでいて、しかも私に近づいているのであれば、彼女にとっての沢柳という元恋人の存在は今はそれほどでもないのだろうが、それにしても私に接近してきたということの真意は私の財産目当てなのだろうか?私よりも長い勤続期間であった沢柳の元に走った方が得だと思わないのであるなら、私に対してそれほど魅力を感じていたのだろうか?そんな筈はない。私は全くそういう魅力で彼女に接していたことは一度もなかったのだから。ならやはり彼女は沢柳の死を島津から伝えられるとかで何らかの形で知っていたことになる。
 私は徐々に近づいてくる彼女の熱い息を顔に感じながら何度もそういう風に考えを巡らせた。

 彼女の息遣いが決して義務的な接近であるようには思えないくらいに自然に私の頬を伝った時、私は永遠に金城悟を葬り、私が替え玉であることを確実に知る唯一の女(ヴェロニカには私はアメリカを去る時多大な慰謝料を支払っていたし確実にそのことを知れるわけではない)と生活をこれから共にしていかなければならないのかと思った。そして彼女の内面にだけ知られているが、対外的には私は沢柳静雄として永遠に生きていかなくてはならない。それも運命なら受け容れるしかない。それがサリーには黙ったままでいる私の身代わりに犠牲になった死者である島津と沢柳への生者からの敬意であるとも一瞬私は思った。
 
 そう思った瞬間サリーは溜め息のようなものを私に吹きかけてきた。今隣りには潤んだ瞳で私の腰に手を廻してきたサリーがいる。
(了)


 付記 これで「共犯者たちのクロスロード‐偶然の虚構性」を終了します。この後暫く休暇を置いた後「退屈な村」を掲載更新していきます。(河口ミカル)

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